1.”蓬莱”より産まれし”傷魂”



 羊水と血がドロドロに混ざった液体が、ベッドを濡らしていた。
 そのベッドには、人間の内臓、胃腸、そして脳など、全身が半分抉り取られている女性が呻いている。

「ぐうっ……! ぐほっ」

 その女性… 八意永琳の五体は、無残にもバラバラになっていた。
 だが、普通の人間ならば死ぬはずの傷を負っても、彼女は生きていた。
 永琳は、不死の存在であるから、だ。



−−−−−



 最初は、純粋な好奇心からの行動だった。
 知り合いであった好事家の姫が持つ”永遠と須臾を操る程度の能力”を借りて、あの蓬莱の薬を作った。
 そして、私は姫と共に、蓬莱の薬を服用し、不老不死になって死ななくなる。
 だが、私が蓬莱の薬を服用した最大の理由は、不老不死に興味があったからではない。



 −蓬莱の薬の服用妊婦からは、どんな子供が産まれるのか−



 ”月の頭脳”とさえ呼ばれるようになった天才・八意永琳が、この世で唯一知らない事柄だった。
 蓬莱の薬の文献は数あれど、それを服用した人間が、生殖行為を行ったとされる記録は残ってない。
 これを知りたかったからこそ、私は「蓬莱の薬」に手を出したのだ。

 その代償が一人だけ裁かれ、穢れた地上へ落とされた共犯者の姫−カグヤへの
 罪の意識に押しつぶされる日々でもある訳でもある。



 ともかく、蓬莱人となった私は、人工受精によって妊娠した。
 そして、私は子供を授かった。



 この時、私は仮説としてしか考えてなかった。
 ”妊娠”というのは、要するに”輪廻転生した魂が女の胎内に宿る事”であるのだ。
 それ故に、妊婦が毒を吸うと、子供に悪影響がある。
 妊婦の喫煙が子供に悪影響を及ぼすのも、煙草には”心の毒”があるためで
 煙草の”心の毒”が赤子の魂に作用して、子供に悪影響を及ぼす。



 それは、つまり罪の証である蓬莱の薬を服用した妊婦からは
 傷ついた紅い魂が産まれる、という事でもあった……。
 私は、仮説の一つとして考えていた。
 それを証明したかったからこそ、禁薬に手を染めたのだ。



 話は変わるが、時間と空間は、切っても切れない関係にある。
 それは、異質に見えて同一である。
 時間を操る程度の能力を持つ者は、空間を操る程度の能力を持つ者であると言えよう。

 だが、自然界にそれを操る程度の能力を持つ存在は有り得ない。
 何故か、それは”世界の理”という物だろう。
 時間と空間を操る程度の能力を持つ者は、理から反する存在から産まれる。

 理から反する存在。
 そう、禁薬「蓬莱の薬」を服用した者の事だ。
 蓬莱人は、不老の存在であるが故に時間を無限に持つ存在であると言える。

 だが、蓬莱の薬を服用すれば、時間と空間を操れるようになる訳ではない。
 実際、私も、カグヤ嬢も、不老不死の存在となった以外に、能力に変化が見られた訳ではない。





 蓬莱の薬が影響を及ぼすのは、服用者の子であったのだ。

 (エーリンレポートより)



−−−−−



 永琳は、痛みを堪えて自らの内臓を見つめている。
 それは体の胎内から鋭利なナイフで切り裂かれたような傷痕だ。
 その惨劇の光景を見て、永琳はふと呟いた。



「魂から人工爪を作ったのか……? ぐうっ!」



−−−−−−



 蓬莱人の胎内から産まれた子は、魂を変形させる事が出来るという事が解った。
 彼女は、自らの魂を紅い刃として、私の体を内部から突き破ったのだ。
 言うならば”ソウルスカルプチュア”か……。


 ”傷魂”は、赤子とは言え、相当の霊力を込めて魂を変形させ人工爪を作り出した。
 その攻撃範囲は、普通にナイフなどで斬るのとはケタ違いだろう。

 (エーリンレポートより)



−−−−−



「くうっ…… はあはあ……」

 蓬莱の薬の影響か、痛みもそれなりに引いてきた。
 不老不死でも痛みはある、それでも普通の人間よりは痛みに強い。
 また、脳や腹部なども、少しずつではあるが細胞が蘇生されてもいく。



「あの仮説が正しかったか…… 正に”傷魂”ね」



 永琳は、自らの子である赤子を”傷魂”と仮称する事にした。
 だが、自ら産みだしておいて何だが、永琳は事の次第では、”傷魂”を消すつもりでいた。
 今まで、カグヤへの後ろめたさだけがあった永琳だったが
 現在では、蓬莱の薬を服用した行為そのものに罪悪感を感じる。
 何故、蓬莱の薬が禁薬とされているか理解できる気がした。



 永琳は、部屋の中を見渡してみる。

「……!?」

 そこで気づいた。

「あの”傷魂”は、どこへ行った?」



 見渡してみると、あの”ソウルスカルプチュア”を扱う”傷魂”の赤子が居ない。
 生後直後の人間ならば、動く事すらままならない存在のはずだ。
 空を飛べる…… のかもしれない。
 とにかく、外へ出す訳にはいかないというだけは確かだ。
 この部屋には、カギをかけておいたのだが、
 あの”ソウルスカルプチュア”で、ドアを切り裂かれると外へ出られてしまうかもしれない



「どこだ…… どこに居る?」



 この部屋には、一人用のベッド。
 タンスに、大きなテーブルが1個、主に薬関係の本が並んだ本棚がある。
 ドアにはカギが閉まっており、どこにも出られないはず。
 となると、この部屋に”傷魂”は居るはずだ。



 今永琳が居るのが、ベッドだから、まずはここを調べてみる。
 血と羊水が染み付いたシーツを、どかす。
 だが、そこには永琳自らの内臓のカケラしか残っていない。

「とりあえず調べてみただけだけど、居ないわね……」

 となると、どこに居るのか。

「あの、テーブルの下に赤子が隠れられるスペースがあるわね」

 永琳は、次にテーブルの下を見やるが、何も居ない。

「本棚の後ろには?」

 本棚の後ろを見ても、誰も居ない。

「まさかとは思うけど、タンスの中とか?」

 ここに、赤子が入れるかもしれない。
 一応調べてみたが、
 冷静になって考えれば、中からタンスを閉める事など出来るはずがないのだが。
 藁にもすがる気持ち、というのだろうか。
 ここに居なければ「”傷魂”はカギがかかったこの部屋から抜け出せる」という事になる。

 ドアのカギは壊れていない。
 となると、この「密室から抜け出した」という事になる。
 どうやって?
 結界を移動すれば可能だろうが、それを可能とするには素質が必要になる。
 それに、結界を操る程度の能力を取得するには時間も必要になる。
 産まれたばかりの赤子が、結界を操る事など出来るはずもない。

 永琳が、天才の頭脳を最大限にフル活用しつつ
 見落としがないかも、部屋をチェックしていた。

 その時だった。



「……えーん、えーん」

 赤子の泣き声が聞こえた。
 壁に遮られているが、確かに聞こえる。

「”傷魂”?」

 耳をこらしてみると
 それは、エーリンが居る部屋の隣から聞こえてくる。

「まさか時間と空間を操る程度の能力…… でも持ってるというの?」

 時間と空間は、同じ物である。
 しかし、それを操る程度の能力を持つ者は、自然界には存在しないのだ。

 だが、自然界の掟から外れた蓬莱の血から産まれし子ならばどうだろう。
 何しろ、蓬莱の薬服用者が出産したというのは前例がない。
 前例がないという事は、有り得ないとは言い切れないのだ。



−−−−−



 結論から言おう。



 蓬莱の薬を服用した妊婦からは、奇形児が産まれる。
 体に異変はない、歪んでいるのは”魂”だ。
 蓬莱の薬によって、魂が傷つけられているのだ。
 私が、自らの子を”傷魂”と仮称したのも、そこから来ている。
 (最も、胎内に”傷魂”が居た時に、名前を考えるのを忘れていたというのもあるが)

 蓬莱の薬によって傷つけられた魂。
 それを持つ人間が、時間と空間を操る程度の能力を持つのである。

 ”傷魂”は、産まれついての奇術師と言えるかもしれない。
 時間と空間を操れるならば、種無し手品などいくらでも作れるだろう。

 (エーリンレポートより)



−−−−−



 永琳が、隣の部屋へ走ると、そこには紅い眼をした”傷魂”が苦しそうに呻いていた。
 ”傷魂”の口からは、懐中時計を繋ぐ銀製の鎖が垂れている。
 永琳は、それを見て予感した。

「まさか…… 口に咥えてしまった!?」

 永琳は、”傷魂”の元へ駆け寄り、
 ”傷魂”が咥えている鎖を引き抜くと、”傷魂”を抱きかかえた。

「……うえーん、えーん……」

 永琳は”傷魂”を、軽く撫でてやる。
 すると、”傷魂”の眼が、狂気の瞳を意味した紅い眼から、青い眼へと変わった。

「眼の色が変わった?」



−−−−−



 感受性が高い人間は、真実の月の影響で狂気の瞳に感染する恐れがある。
 狂気の瞳の末期症状患者を治療する方法はない。

 だが、”蓬莱”より産まれし”傷魂”には当てはまらない。
 彼女は、無意識の内に狂気の瞳を変化させる事が出来るのだ。

 (エーリンレポートより)



−−−−−



 永琳は、この魂の奇形児をどうするか決めあぐねていた。
 異質な存在、である事に変わりはない。

 だが、産まれてきた以上、この”傷魂”に生きる価値はあると信じたい。
 親は、子供が自分から離れて生きていける一人前になるまでは、面倒を見る物ではないか。
 閻魔とて、親が罪人であろうが、その事で子を責めたりはしないだろう。
 むしろ、これは贖罪なのかもしれない。

 ”傷魂”が咥えていた、懐中時計の鎖を、手に持って永琳は思った。
 いや、生かすのならば名前ぐらい与えてやるべきだろう。



 そう、名前は……。




−−−−−



 <求聞史紀が出る前に書いたあとがきっぽいの>

 皆様こんにちわ。あとがきから読み始めた方もこんにちわ。

 東方シリーズに関して、突飛的な解釈を形にしたのが、このSSです。
 最初は一話完結型だったのですが、
 色々やってく内に「東方銀夜咲」とかいうタイトルのシリーズの一つになってしまいました。

 さて、傷魂ですが、もちろん十六夜咲夜の事です。
 東方シリーズにおいて時間と空間を操れるのは、現時点では彼女一人ですから。

 
 この話は「咲夜=切り裂きジャック」という定説とは違った解釈をしています。
 しかし、切り裂きジャックが、リッパロジストの方々に様々な解釈をされてるのと同時に
 十六夜咲夜というキャラも、東方フリークに様々な解釈をされています。
 恐らく、どれが正解か。というのは、原作者の方を除いて、一人も出せないでしょう。
 その内の解釈の一つです。

 咲夜というキャラには謎が多いです。
 時間と空間を操る程度の能力。
 紅い瞳。狂気の瞳。
 明らかに伸びているソウルスカルプチュア。
 紅魔館に来る前の過去。
 そして咲夜を見て内心驚いた八意永琳。

 これらを解決する新解釈として「咲夜は永琳の娘」というのを立てました。
 「蓬莱の薬」が胎児に影響を与えたのだという解釈です。
 時間と空間を操れるのも、眼が赤くなるのも、ソウルスカルプチュアが使えるのも、全て蓬莱の薬の影響。
 時間を止められる。という事は、咲夜は蓬莱人に近い存在ではなかろうか。という考え方です。
 また、永琳が蓬莱の薬に手を出した理由も
 「蓬莱人の子供はどうなるか見てみたかった」という知的好奇心から。という理由の上乗せにもなりました。
 ちなみに、永琳が輝夜の能力で作った薬を服用して不老不死になってるというのは、永夜抄の幽冥組のベストEDで名言されています。
 
 ただ、これだと咲夜の年齢に謎が残ります。竹取物語が約1300年前の話ならば、永琳・輝夜・妹紅もそれぐらいだし
 咲夜も約1300歳になる事になります。レミリアより年上です。
 これに関しては、次の「”空虚”なサクヤの世界」で解釈してみました。
 何故、月の民として約1300年前に生まれた咲夜は、紅魔館に流れ着いたのか。
 それに関しては、後の話で解釈しています。

 引き続きお楽しみいただければ幸いです。



2.”空虚”なサクヤの世界





 ”時間”と”空間”を操る事が出来る生命体は、一つしか有り得ない。
 ”蓬莱人の子”だ。



 禁薬「蓬莱の薬」を服用した者は、不老不死の存在となる。
 蓬莱人が子を成せば、”子宮”の中に居る魂は傷つく。
 それを証明したのが、八意永琳。
 そして”傷魂”たる存在が、永琳の娘である八意咲夜だった。



−−−−−−



 咲夜は、普通の人間と付き合う事を諦めていた。
 子供の頃は、みんなと普通に付き合えていた。
 いや、今でも子供は好きである。
 子供は何も知らないし、純粋だから好きだ。
 大人になんてならなければいいのに、と常日頃から思う。

 だが、大人が咲夜を見る視線は冷たかった。
 ”傷魂”たる咲夜は、時間と空間を操れる。
 だから、普通の人間は咲夜に恐怖する。
 それを知っていたから、咲夜は普通の人間と接する事を諦めている。

 咲夜にとって、世界の価値など下落の一方を辿っている。
 彼女にとって、高騰するのは”咲夜の世界”。
 咲夜以外の時が止まる世界だ。
 それを母・永琳は、”スクエア”と呼んでいた。
 永琳の考え方と、ネーミングセンスは、常人にとって理解しがたい。

 ”咲夜の世界”には、咲夜一人しか居ない。
 だから、咲夜はそこに引きこもっていた。
 とは言え、永琳は「何もしないのではロクデナシよ」と言い
 咲夜に、炊事・洗濯・掃除・子守・料理・投げナイフと、メイドがやりそうな事を教えてやった。
 こうして咲夜は完全なメイドとなった。
 ただ、咲夜は猫舌なので熱い食べ物の味見は難儀ではあったが。

 咲夜は、衣食住に困らない職場なら、どこでもいいと思っている。
 神など信じないし、名誉欲も、支配欲もない。
 冷たい視線にも慣れている。



−−−−−−



「サクヤ…… 貴方の世界は、牢獄ね」

 八意咲夜の師匠であり、母親でもある永琳はある日こう言った。
 母が告げた突然の言葉に、咲夜は何を言われたか理解出来なかった。

「牢獄?」

「そう、貴方のスクエアはインフレーションの一方を辿っている…… でも、その中は空虚ね」

 母の言葉に、咲夜の胸の奥から怒りがこみ上げてきた。

「あら? 私を空虚な子供に育てたのは貴方じゃなくて?」

「……親の責任にしないの」

「そんな体で私を産んだ女が何を言うのかしら」

「……それは」

「それに、空虚なのは貴方の方でしょう?」

「ッ!?」

 咲夜は、永琳の心が誰に向いているか知っていた。
 それは、自分ではない事だけは明らかだった。

「カグヤ…… だったかしら?
 貴方と一緒に蓬莱の薬を飲んで、罪人として穢れた地上へ落とされた姫。
 そして、わざわざ私に”サクヤ”という、”カグヤ”と似た発音の名前を与えた。
 ”空虚”な自分を慰めたくて、ね…… 違くて?」



−−−−−−



 理由は単純だ。
 永琳は、月にとって有能な存在なのだ。
 だから、罰が与えられない。
 むしろ不老不死になった事で、未来永劫、月に英知を授けてくれると喜ぶ者すら居た。



 しかし、カグヤは違う。
 咲夜は知らなかったが、カグヤは好事家の娘でしかなかった。
 だから、カグヤは罰せられた。
 死ななかったから、穢れた地上へ落とされた。



−−−−−−



 だが、永琳は、咲夜の問いに対してこう答えた。

「………… そうね、なぜ私は罰せられないのかしら……」

 それはサクヤにとって聞きたくなかった言葉だった。
 『なぜ私は罰せられない』
 母の情けない一言だ。
 サクヤの怒りは頂点に達した。

「娘の前でそういう事を言うな! そんなに罰が欲しかったら、私がお前を裁いてやる!」

 咲夜はそう吐き捨てて、”咲夜の世界”を発動させた。
 時が止まった世界で、咲夜は魂を変形させた人口爪−ソウルスカルプチュア−を、ナイフに宿らせる。



 魂すら切り裂く赤い嵐が、咲夜の世界に吹き荒れた。
 真空は、41もの回数を永琳に襲い掛かった。
 永琳の腕を。
 永琳の脚を。
 永琳の胸を。
 永琳の顔を。
 永琳の子宮を。
 全てを吹き飛ばす赤い嵐。

 そして、時は動き出す。
 醜い肉塊になった永琳が、もぞもぞと動いている。
 唇が動いて、声を発した。

「……サクヤ、ごめんなさい」

 咲夜は、永琳の謝罪の言葉を聞いて口元を歪ませる。
 笑みを浮かべながら、咲夜は永琳の唇に踵落としを浴びせた。
 唇が、グチャという音を立てて潰れた。



−−−−−−




 永琳は、死なない。
 怒り狂う咲夜のソウルスカルプチュアで原型を留めないほど破壊された肉体も、
 数日後には、完全に再生していた。

 だが、咲夜は母が再生する度に罰を与えた。
 ナイフで切り刻み、肉体を破壊し続けるという罰。
 中でも、咲夜は永琳の子宮を抉り出すのが好きだった。
 咲夜の部屋には、ホルマリン漬けにしてある母の子宮が大量にある。
 元々、自分が存在していた場所だというのもあるのだろうか。

 とにかく、そんな日々が続いた。
 それが終わりを告げるのは、数ヵ月後だった。



−−−−−−



 ある日、永琳が屋敷から消えた。
 置手紙には、穢れた地上へ降りると書いてあった。
 咲夜は、それに心当たりがあった。

「カグヤ……か」

 咲夜は、カグヤという少女に憎しみを抱いていない。
 それは咲夜が瀟洒であるが故に、割り切っているからだろう。
 そもそも、咲夜にカグヤを憎む理由はない。
 逆恨みをするつもりなど毛頭ない。

 ただ、永琳がカグヤと共に地上から戻ってきたらどうなるのか、咲夜は心配だった。



−−−−−−



 しかし、永琳は帰ってこなかった。
 新聞には、永琳が共に地上へ降りた使者を皆殺しにしたと書かれていた。
 カグヤが、穢れた地上に居たいと言い出したが故の行動らしい。
 咲夜には、カグヤの心情が理解出来なかった。
 地上は穢れていて、卑しい人が住んでいると聞いていたからだ。

 だが、カグヤにはカグヤの価値観があるのだろう。
 咲夜は、自分の価値観に当てはめてカグヤの価値観を否定する必要はないと思っていた。



−−−−−−



 空虚なスクエアの価値は高騰する。
 咲夜は、自分の世界に引きこもった。

 最後に、母に一矢報いて死のうと思った。
 だが、永琳と殺しあって勝ち目はないだろうと咲夜は計算していた。
 永琳は強い。
 そもそも、永琳は死なない。
 可死の存在である咲夜が、不死の存在の永琳と殺しあったら
 100%負けるのは、自分だという事だ。



 それでも、咲夜は地上へ降りた……。



 咲夜の遺言を、永琳に聞かせるために。





−−−−−−





 それは、最も危険な丑三つ時だった。

「バカな子……」

 そう言って、永琳は咲夜を見下ろしていた。
 咲夜は相当の血液量を、草木に向かって吐き散らしている。
 ソウルスカルプチュアも、ザ・ワールドも、エターナルミークも、インフレーションスクエアも、ジャック・ザ・リッパーも全て。
 咲夜のあらゆる攻撃が、永琳には効かなかった。

「大人しく月で就職先を探せば良かったのに……」

 そういう永琳の眼は、憂いを秘めていた。
 咲夜は、それを見抜いて何を今更と思った。
 結局、彼女は娘を捨てたのだ。
 ならば、他の使者と同じように、とっとと殺せばいいのだ。

「悪いけど…… ぐっ…… 貴方に一つ言い残しておく事があったのよ」

 咲夜は、痛みを堪えて飛び上がる。
 最後の力を振り絞って、投げナイフをめったやたらに投げまくる。
 だが、永琳はナイフを軽く避け続ける。

「何かしら。親子の縁を切る前に聞いてあげるわ」

「ふん…… 置手紙を残した直後に親子の縁を切ってた癖に……」

「だからさっきも言ったじゃない? 貴方には一人でも生きていけるように、完全なメイドとしてのスキルを与えてあげたのに……」

「平行線にしかならない話題ね…… だから、私の”遺言”を……」

 そして、咲夜は唱える。
 彼女にとっての遺言−ラストワード−を。

「デフレーションワールド!!」

 カーン! という乾いた音が鳴り響いた。
 それと同時に、咲夜は時空を縮小させる。
 咲夜にとって、最初で最後の変化球だった。
 小さくなった時間は、短期間の過去と未来を同時に現在に映してしまう。
 それらが全て襲い掛かる恐怖の技。
 それが、デフレーションワールド−下落する世界価値−だった。



−−−−−−



「ぐうっ!」

 数百本にも及ぶナイフが、永琳のありとあらゆる箇所に突き刺さる。
 いや、突き刺さるというよりも、異物が入り込む…… という表現がふさわしいだろう。
 永琳の体は、トゲを付けたサボテンのような状態と化した。
 普通の人間や魔物ならば、生きてはいられない。
 だが、永琳は…… 不死の存在だった。

「貴方の遺言…… 確かに聞き届けたわ」

 永琳の言葉が咲夜の耳に虚しく響く。
 やる事は全てやったと思った。
 もう、体に力が入らない。
 後は、始末されるのを待つだけだった。



−−−−−−



「これが、守る者が居るかどうかの差よ、サクヤ……」

「ふん…… わからないわね」

「そうね……」

「それに…… それは、親が子に理想を押し付けるという事じゃなくて?」

「……そうかも、ね」

 永琳は、咲夜のポケットに手を突っ込んで懐中時計を奪う。
 銀製の時計。
 ”サクヤ”と記された時計。


「秘術「天文密葬法」……」

 永琳は、呪文を唱えた。
 それに呼応して、咲夜の肉体が、懐中時計に吸い込まれていく。
 月の技術でも解除できない牢獄。
 死にもせず、ただ意識もなく生き続ける”魂の牢獄”。
 それが天文密葬法。
 また、文字通り、身内だけの「密葬」でもあった。

 咲夜の肉体は消滅した。
 血にまみれた懐中時計だけが、穢れた地面に落ちた。

「さようなら、サクヤ……」

 それが、永琳と咲夜の別れの言葉だった。





−−−−−−





 本当に長い時が過ぎた。

 メイドと血の懐中時計は、色んな所を巡った。
 最終的に、それは幻想郷へ流れ着く。



 そして…… ここで咲夜は、紅い運命と邂逅するのだった。




−−−−−−


 <当時のあとがきっぽいの>

 すみません。このSSに関しては、アップしてから書きなおしました。反省しています。
 あまり、やるべき事ではないと思うのですが、気になった所が二点ありましたので。

 修正点は二つ。

・「サクヤ」「エーリン」という表記を「咲夜」「永琳」に直した。(セリフ中の表記はそのまま)

 輝夜は「カグヤ」 鈴仙は「レイセン」というのが本名で、カナ表示なのが月の民。
 だから設定的には、月に居た時は「エーリン」「サクヤ」で問題ないはず。

 とは言え、SSに直すと「サクヤ」「エーリン」って書くと、誰が誰だかわからなくなるという恐ろしい罠が待ってます。
 どう考えても、普通に「咲夜」「永琳」って書いた方が読みやすいです。
 なので修正しました。カグヤに関しては仕様です。



・咲夜を封印した術を秘術「天文密葬法」とした。

 ちなみに密葬法は、永琳の最終スペルカード(蓬莱の薬除く)
 密葬とは、身内だけで葬式をする。という意味もあります。
 永琳が本気出した天文密葬法は、永夜抄のようなものではない。というイメージ。
 

 ともあれ、咲夜は天文密葬法で懐中時計に封印されてしまいました。
 次回は一気に時が飛んでパチュリー視点です。



3.”血塊”に覆われた懐中時計


 幻想郷は、春の季節を終え、もうそろそろ夏の色を見せようとしていた。
 誰も訪れない、湖のほとりにある紅いお屋敷。
 紅霧の異変が起こるほんの少し前、季節の境目のお話。



 草木の静まる夜の紅魔館。
 その玄関から、紅い眼の幼い悪魔が出てきて、門番の少女を見据えた。




「中国〜? 門番の仕事をサボってないかしら〜?」

「お、お嬢様!? も、もちろんサボってなんかいませんよ!」

「そう、ならいいのよ。 それより中国。 アレを拾わなかった?」

「と言われましても、アレとは何でしょう」

「アレはアレよ。 強い運命を感じたのよ」

「はあ…… でも、ゴミ一つ落ちてなかったですよ…… も、もちろんサボってなんかいませんよ!?」

「あっ、そこに何か光る物が落ちてるわね」

「ゴミですか!? も、申し訳ありません!」

「懐中時計かしら? まあ、拾ってパチェにでも見せてみようかしら」




−−−−−




 沢山の本を入れた本棚が立ち並んでいた。図書室だった。
 ここにある本は、外の世界では必要がなくなった物。幻想なのだ。
 だから、幻想郷に飛んできたのだ。幻想郷とは、外の世界で行き場のなくなった者が集まる場所だ。

 そして彼女も、そこに居た。

「げほっ げほっ」

 パチュリー・ノーレッジは、ゼイゼイなる喉を抑えて咳き込んでいた。彼女は生まれつき喘息を抱えているのだ。
 魔女であるパチュリーも外の世界では、幻想の存在なのだろう。
 だから幻想郷に居る。



 突然、本を読んでいるパチュリーの目の前に、ばっと埃が舞い込んできた。

「げほっ…… げほっげほっ!」

 パチュリーはそれを吸い込んでしまい、一気に咳き込んだ。
 
「す、すみません! 大丈夫ですかパチュリー様」

「大丈夫…… でも、ここは掃除しなくてもいいわ。 げほっ」

 埃が舞い立ったのは、紅魔館で働いているメイドが本棚を掃除したせいだ。
 ここで、このメイドについて説明しよう。
 紅魔館には、背中に羽が生えたメイド達が働いている。
 ここで働くメイドは妖怪だ。どちらかと言えば妖精程度の力を持つ悪魔のような存在。
 要するに雑魚だ。撃ち落されていく儚い存在。それは人間ではない。
 メイドも、魔女と同じく、外の世界では幻想なのだろう。





−−−−−




 付け加えておくが、この館で働く雑魚のメイド達は人間ではない。
 だが、これより少し時間が経った後に、ここで働く事になる約一名のメイドは人間だ。
 不完全な人間。いつか死ぬ人間。だからこそ十六夜月のように、儚く、美しい。




−−−−−




 埃を舞わせたメイドは、パチュリーに頭を下げて図書室から出て行った。
 透明な羽のついた背中を見て、パチュリーはため息をついた。

「これで13回目よ…… 埃を舞わせに来たのは……」

 どうも、あのメイド達には、統率が取れてないのではないかとパチュリーは思う。
 役に立たない訳ではないのだが、同じ場所を何度も掃除するのはどうだろう。
 出来れば、彼女達に指示を出すメイド長のような存在が欲しい。とパチュリーは常日頃から思っていた。
 あえて我侭を言うなら、埃を舞わせないで掃除してくれるとよい。



 だが、メイド達に指示を出せる人材など、パチュリーが住む紅魔館に存在しない事などわかっている。
 一応、絶対的な上位者として、この館の主人が存在しているが、彼女は幼すぎる。的確な指示は出せないだろうし、解らないだろう。
 主人の妹は、気が触れてるので尚、無理だ。
 自分には無理だ、そもそも本を読むのが好きなので、そんな仕事など、こちらから御免だ。
 図書室の司書をやってくれてる小悪魔にも無理だろう。 そもそも司書をやってくれないと自分が困る。
 この館を守っている中国妖怪な門番? 考えるまでもない。 無理だ。 不可能だ。

 そんな事を考えていた頃。
 図書室の中に、一人の少女が入ってきた。

「パチェ。 ちょっといいかしら」

「あら、レミィ? 珍しいわね。 普段は人と会いたがらないのに」

 中に入ってきたのは、この館の主人のレミリア・スカーレットだった。悪魔である。
 パチュリーとレミリアは親しい間柄なので、愛称で呼び合う。

「それはいいのよ。それより、これを見なさい」

 そう言って、レミリアは手に握っていた物を見せた。

「壊れた懐中時計ね。 それで、これがどうかしたの?」

「強い運命が見えたのよ。これから」

 レミリアは、運命を操る程度の能力を持つという。
 と、言っても能力の所載はパチュリーにもわからない。そもそも、レミリアは、そんな能力なんぞ使わなくても十分強い。
 吸血鬼の肉体能力と魔法力。蝙蝠を使役したりなど、普通に強い。

 ここからはパチュリーの予想だが、レミリアは軽い予知能力を持ってるのだと思う。所載は解らない。
 それを知るから、レミリアは最善の行動を取る。よく「運命を乗り越える」、というが、レミリアはそれをやれるのだろう。
 だから、運命を操る程度の能力なのだろうと予想している。本当の所は知らない。

「パチェ。この時計には便利な物が入ってるのよ」

「便利な物?」

「そう、便利な物」

 パチュリーは、懐中時計に目をやる。
 微かに鼓動がする。
 中に”何か”が、封印されている。とても強い力で封印されている。ずっと昔から存在していたかのようだった。
 自分が…… レミリアが生まれるずっと前から、そこに封じられていた。そんな感覚。
 パチュリーは、そこまで効力の強い魔法を知らなかった。もしかすると、人間の仕業なのかもしれない。

 そこまで言ってパチュリーは、レミリアが自分に何を求めているか気づいた。
 レミリア曰く、この中には便利な物が入っているらしい。

「この封印。解けるかしら? パチェ」

 とりあえず興味は沸く。




−−−−−




 幻想郷は、春の季節を終えて、夏に入っていた。
 辺境は紅色の幻想に包まれていた。

 普通の人間は30分はもつ程度の妖気だったが、普通じゃない人もやはり
 30分程度はもつようだった。

 妖霧の中心地は、昼は常にぼんやり明るく、夜は月明かりでぼんやり明るかった。
 霧の中から見る満月はぼやけて数倍にも膨れて見えるのだった。


 その夜は、ほんの僅かに欠けた十六夜月が浮かんでいた。
 あの後、すぐに封印を解けるかもしれない方法が見つかった。確実性はないが、封印の力は永い時を経て弱まっていたから、何とかなるかもしれない。

 必要なのは二つ。

 一つ目が、悪魔の出す紅霧である。
 水滴より細かい霧である悪魔の紅霧が、懐中時計の中に入り込む。
 それが、重要なのである。

 二つ目が、十六夜月である。
 月の力を借りたいが、満月だと力が強すぎる可能性がある。
 完全に見えて完全じゃない十六夜が、丁度良い塩梅なのである。

 悪魔の紅霧で覆い隠し、十六夜月の夜に、外へ置いて、数時間待ってみる。
 紅霧が懐中時計に染み渡り、十六夜月の力を借りる事で、封印を解くのだ。



 パチュリーも、珍しく外へ出て、その儀式に立ち会ってみた。
 それなりに永い時間がかかる。
 そのため、レミリアはすぐに飽きるのだとパチュリーは思ったが、珍しい事もあるようで、封印が解けるのをじっと待っていた。
 我慢強い。というよりも、中に封印されてる物に興味があるようだとパチュリーは思った。

「来るわよ」

 レミリアは、そう言った。
 懐中時計から、光があふれ出して、パチュリーの視界を奪う……。
 その中で、パチュリー眩しい目をこすって、懐中時計を見やる。
 それを見たパチュリーは、思わず呟いた。

「人間……?」

 中から出てきたのは、銀色の髪を持つ、眠りこけた少女だった。




−−−−−




 それから、ほんの少しだけ時間が経った。
 「紅霧はあのまんまでいいでしょ〜。 だって、夜にも出かけられるし〜」とかレミリアが言い出したので、紅霧を放置していたら、
 紅白とか、黒いのとかが、紅魔館に進入してきて、散々暴れまわっていった。迷惑千万だとパチュリーは心底思う。
 その直後から、レミリアが紅白巫女の霊夢に懐いてしまい、神社まで遊びに行ったりして、それなりに外へ出歩くようになった。
 ついでに、黒い魔法使い・魔理沙も紅魔館に遊びに来ては、魔道書などをかっぱらっていくようになった。

「新しいスペルカードを思いついたぜ。 恋符「ノンディレクショナルレーザー」という奴だ」
 と、魔理沙は言った。

「せめて人の書斎でギャアギャア騒がないで頂戴」
 と、パチュリーは言った。

「それにしても、埃っぽい部屋だな。 窓もないし。 お前が喘息なのも、埃のせいなんじゃないか?」

「空間も広くなったし、埃を舞わないで掃除してくれるメイドが居るから、前よりは少しはマシ」

「ああ、”あいつ”か」




−−−−−


 銀で出来た鎖に繋がれた懐中時計。
 それは針の音を不規則に鳴らす。壊れていた。狂っていた。血塊に覆われていた。
 かつて、その中は、時間の止まった場所だった。
 その懐中時計には、産まれた時から壊れていた魂を持つ月の人が封じられていた。
 かつて八意サクヤと呼ばれた少女。
 だが、彼女はその名を覚えてはいないだろう。歴史は僅か六十年で死ぬのだ。
 それでも、今持っている名前と、その生活を、かつて八意サクヤと呼ばれた人間は気に入っていた。



 彼女もまた、幻想郷にいた。

 



 <当時のあとがきっぽいの>

 パチュリーはツンデレなんですよ。あんな感じでも、心の中でデレデレしてます。

 紅霧を出したのが懐中時計の封印(天文密葬法)を解くため、というのが矛盾してるかもしれませんが
 公式でも「日光が嫌いだから紅霧出した」と言ってるのは、咲夜だけだったり。レミリア自身は、そんな事一言も言ってなかったり。
 でも、仕舞うの面倒くさいから霊夢や魔理沙が暴れるまで紅霧をあのままにしておいた、というイメージ。

 このSSでは、紅魔館のメイドは咲夜を除いて人間ではないとなってますが。
 実際のゲームでも羽も生えてます。
 エルナビで連載されている東方香霖堂、第十七話「月と河童」の扉絵で、咲夜がすげえ顔してますが
 その後ろに他のメイド達が居ます。どう見ても、羽生えてます。
 咲夜以外のメイドが非人間、というのは公式設定と確認。そういう事で、統率が取れてません。

 さて、次回は咲夜が働くまでの話です。



4.貴方の”名前”は十六夜咲夜





 不意に、光が差し込んできた。
 あまりの眩しさに、思わず眼を閉じてしまう。

「(ああ…… 長いこと使ってなかったからね)」

 銀毛の少女は、眼の痛みの理由を、そう考えた。
 まあいい。
 少しずつ慣らしていけばいい。

「(私には時間が有り余ってるしね……)」

 銀毛の少女は、時間を止める。世界は静止し、彼女だけの物になる。
 何故、こういう能力を持っているかは、彼女自身にも解っていないようだ。


 この能力のせいで、普通の人間と付き合うのは無理だと彼女は思う。
 具体的にどうしてかは全く覚えてないのだが、ただそう思う。


 だが、せめて今は有効に活用させてもらうつもりである。
 時間が止まっている最中だと、少しはまぶたを開きやすいかもしれない。
 ゆっくり、ゆっくり、まぶたを開いた。



−−−−−



 静止させていた時間を元に戻す。
 眼が光に慣れるにつれて、視界が広がっていく。
 自分を見つめる、あどげない顔立ちの少女の姿が、浮かんでくる。
 病的に青白い肌と、紅い眼が印象的な少女だった。

「目が覚めた?」

 紅い眼の少女は、銀毛の少女に語りかけてきた。

「誰?」

「お嬢様だよ、お嬢様」

 とりあえず、紅い眼の少女は”お嬢様”と言うらしい。銀毛の少女は、それを心に刻み込む。
 銀毛の少女は、衣服に着替えさせられ、ベットに寝かされている。
 それも目の前の”お嬢様”か、その召使いがやったのだろう。と銀毛の少女は思った

「それよりも、人に名前を聞く時は、まず自分から名乗るのが礼儀じゃないの」

「あら、そうね。 でも……私の名前がわかんないの」

 これは本当だった。銀毛の少女には、記憶も、歴史も無い。
 知識は残っているが、今までの過去が無いのだ。

「記憶喪失って奴かしら?」

「まさか。ファンタジーじゃあるまいし、記憶喪失なんて無いよ」

「ここはファンタジーじゃないけど、幻想の世界ではあるわよ。その証拠にほら」

 幻想とファンタジーのどこが違うのか、と疑問に思った銀毛の少女に”お嬢様”は、背中をに見せ付けた。
 ”お嬢様”の背中には羽が生えていた。人間では無いのだろう。
 地上の人が、月の魔力で変えられた魔物の類か……。と、不意にそんな事を銀毛の少女は思う。

「悪魔なのよ。私は」

「へえ」

 どう見ても目の前に居る”お嬢様”は、人間には見えない。
 だが、銀毛の少女には、彼女が幼い子供にしか見えない。
 人間の血を吸う魔物は、子供であり続ける事で、永遠を生きる。と、銀毛の少女は知っていた。

「あんたは、私を怖がらないのね。悪魔だよ? 悪魔」

「怖いと思った事はないけど、怖がられた事はあるわ」

 部屋が広くなった気がした。
 いや、広くなったのだ。
 銀毛の少女は空間を操って、屋敷全体の空間を広げたのだ。

「部屋が広くなった?」

「空間をいじるの好きなの、私。でも、普通の人は、私の能力が怖いみたいだあね」

「ふふ…… 人間って面白いわね」

「そうね、私は普通の人間じゃないからね」

 銀毛の少女は、自嘲気味に笑った。
 過去に、自分が何をしていたのかは解らないが、それでも
 『自分は、この能力のせいで、普通の人間と付き合えない』という事だけは理解していた。



−−−−−



 銀毛の少女の前に、メイドがパンとスープを持ってきた。
 どうやら食べて良いらしいので、銀毛の少女は、それなりのパンと、それなりのスープを平らげていた。
 お嬢様の方は紅い紅茶を飲んでいた。恐らく、人間の血かなんかなのだろう。
 生きてる以上、腹は空く。それは、人間も魔物も変わらない。

「食事も食べさせてもらったし、何か手伝うことはない?」

「いい心がけね。じゃあ、貴方は何が出来る?」

「掃除なら出来る、かもしれない。 昔は優秀な掃除係だった気がする」

 銀毛の少女は、時間を止める。
 お嬢様の時間も止まり、ここを動けるのは自分だけとなる。

 銀毛の少女は、傍らにあった竹ホウキを手に持ち、居座っていた部屋を効率よく掃除していく。
 何よりも、埃が舞わないのが良い。
 綺麗になるし、効率的だし。
 ……裏でこっそり休めるし。

「これで綺麗に片付いた」

 そして時間は動き出す。
 お嬢様は、埃が掃き取られた部屋を見て、感心していたようだった。

「へえ。確かに優秀な掃除係ね」

「空間を操れる人は時間も操れるものなんだよ。他にも洗濯とか料理とか投げナイフとかも出来る、かもしれない」

「優秀なメイドね。うちに居るのとは大違いだわ」

「完全なメイドとして育てられた、かもしれないねえ」



−−−−−



 お嬢様は、色んな事を銀毛の少女に話した。
 ここが「紅魔館」と呼ばれる、湖に囲まれた悪魔の館だという事を。
 紅魔館では、メイドという種族の悪魔が働いているが、統率が取れてないので困ってる事を。

「確かに、役割分担は出来てないね。指示を出せば、あのメイドでもちょっとは使えるかもしれないけど」

「そこで、三食とメイド服を出すから、この館でメイド長として働かない? 給金はないけど」

 願ってもない話だった。
 飯にさえ出してくれれば、どこでも良い。
 それに、このお嬢様は人間でないせいか自分を怖がらないようだし。

「飯さえ食べられば、それでいい」

「そう。じゃあ、今後ともよろしく」

 銀毛の少女は、そう思っていた。
 これは本当だ。
 例え勤め先が悪魔の屋敷だろうが構わない。
 どうせ普通の人間と付き合うことは、能力のせいで無理だろうと思っていた。



−−−−−



「しかし、名前が無ければどうも呼びにくいね」

「名前は覚えてないね」

「私がゴッドマザーになってあげるわよ」

「ゴッドマザーと書いて名付け親と読むのね」

「そう…… 貴方は、今日から”十六夜咲夜”よ」

 



 これが、十六夜咲夜が悪魔のメイドとなった瞬間だった。
 十六夜咲夜。それが、彼女の新しい名前である。


−−−−−




<当時のあとがきっぽいの>

 このSSはシリーズ物です。東方銀夜咲とか銘打ってます。

 あらすじとしては、咲夜さんは永琳の娘。
 時間や空間を操れたり、ソウルスカルプチュア使えたりするのは、蓬莱の薬の影響。
 しかし、永琳は輝夜の元へ行き、咲夜は月の使者として永琳を殺しに行くも返り討ち。
 「天文密葬法」によって、懐中時計に封印されます。
 それを、レミリアが拾って、封印を解いた結果、知識だけが残って、他の記憶や歴史が死んでいるという訳です。
 という捏造設定に基づいて書かれてます。

 以下、設定っぽいの。

・時代背景
 紅魔郷の数日前です。
 霊夢や魔理沙が暴れまわる、ほんの少し前に咲夜は紅魔館にやってきたつもりです。

・お嬢様。
 当然、レミリア・スカーレットです。
 ちなみに紅魔郷時代のレミリアの咲夜に対する評価は「やっぱり人間って使えないわね」「咲夜は優秀な掃除係」だったり。
 永夜抄を見る限り、レミリアの咲夜に対する評価も上がっては来てますけど。

・咲夜以外の紅魔館のメイド
 非人間です。悪魔かなんか。
 背中に羽生えてますし。

・咲夜の口調。
 紅魔郷時代をイメージしています。
 キャラ設定がシリーズごとに変わるのではなくて、シリーズごとに性格が変わっていくのだと解釈しています。
 咲夜の場合、妖々夢で少しは落ち着いて、永夜抄の頃には暢気になってきてるというイメージ。
 ちなみに、紅魔郷の咲夜は少々狂ってるイメージ。赤い眼=狂気の瞳というのがありそうです。

・知識と歴史。
 咲夜は、過去の記憶や歴史を全て忘れてますが、知識は覚えてます。
 時間停止・空間操作の力は、普通に使えますし、それによって月の人に白い目で見られてたようなイメージを持ってます。
 しかし、自分が月の民だという事や、母である永琳の事などは完全に忘れています。

・メイド技術を覚えてる咲夜。
 約1300年前に、月に居た頃に、永琳が仕込みました。
 ちなみに、永琳は永遠亭でも家事全般をやってて、ウドンゲに仕込んだりしてるイメージがあります。
 輝夜やてゐは、そういうのやらなそうだしなあ……。

・咲夜が紅魔館で働いた理由。
 紅魔郷のおまけのキャラ紹介を見る限り、当時は「飯にありつければどこでもいい」という感じだったようです。
 生活していくうちに、心情は変わっていきますが、まあ最初はこんなもんだと思います。

・咲夜が紅い眼
 永琳の影響です。
 具体的に蓬莱の薬が母体に与える影響によって、咲夜は狂気の瞳を使いこなせます。

・次回
 中国の話の予定。



5.門番とメイド長の”激突”




 これは、巫女や黒い魔が、紅い屋敷にやって来る、ほんの少し前のお話。



―――――



 湖の中心に位置した孤島。
 そこに建っている紅いお屋敷。紅魔館。
 この屋敷入り口付近で、弾幕ごっこを繰り広げている少女が二人居た。

 一人は、主に湖で悪戯を仕掛けている氷の妖精・チルノ。
 もう一人は、この紅いお屋敷で、しがない門番をやっている妖怪・紅 美鈴だった。



「凍符「パーフェクトフリーズ」!!」

 チルノは美鈴に向けて、スペルカードの宣言と時同じくして、めったやたらに弾を撃ちまくる。
 弾速が速く、規則性のない弾は、避けるのも難しい。
 だが、それは裏返せば、目の前の氷精が、単純である事を裏付けてるのだと美鈴は思った。
 美鈴は、スペルカードを使わずに、チルノのパーフェクトフリーズを回避する。

「ふんっ、こんなものか?」

 美鈴は、軽くチルノを挑発する。
 とは言っても、今の攻撃を避けられたのは、気合と運である訳だが、それは悟られたくはない。

「ふんっ! アタシのパーフェクトフリーズがこの程度で終わる訳ないじゃん!」

 不意に湖の辺りが、より寒くなった気がした。
 その原因はチルノにあった。
 彼女は、先ほど放った数色の弾を凍らせたのだ。
 その結果、美鈴の周りには、弾が浮かんでいる状態となる。

「どうだっ! これがアタシの……」

 だが、その隙を美鈴は見逃さなかった。

「虹符「彩虹の風鈴」!」

 美鈴は気を使う程度の能力を持っている。
 それを活用して、美鈴は七色の弾幕を作り上げ、それを身を纏う。
 風鈴のように周る美鈴の気は、チルノへと向かう。

「パーフェク…… どへぇッ!」

 チルノは、それを避ける事を忘れて、弾に当たる。
 その痛みからか断末魔を挙げてチルノは気絶したようだった。
 聞こえてるかどうかは解らないが、とりあえず美鈴は決め台詞を言い放ってみた。

「まあ、楽に勝たせてもらえるとは思ってないけどさ。これに懲りたら二度とウチに近づこうなんて思わないことだね」

 

−−−−−



 泡を吹いて気絶したチルノを、背中に羽の生えたメイド達が湖へ返す。
 まあ、妖精に寿命は無いし、放っておけば目を覚ますだろう。と美鈴は思っていた。
 頻度は少ないが、チルノは、時々この屋敷までにやって来る事があるのである。

「毎度の事ながらやりましたね! ”中国の姐さん”!」

 メイドの一人が、美鈴に声をかける。
 美鈴とメイド達は仲が良い。
 メイド達は結構好き勝手に掃除やったり、料理したりして統率が取れてないのだが、まあそれでもマッタリすごせていた。
 美鈴はメイド達から慕われ「中国の姐さん」「中国さん」などと呼ばれる。
 理由は「中国っぽいから」 中国出身の妖怪らしいのだが、何の種類かはわからない。
 だが、美鈴はそう呼ばれるのを快く思ってはいなかった。

「ね、姐さん?」

「よ、呼ばれるなら本名がいいなあ…… とか言ってみたり」

 涙目の美鈴に、メイドが少しだけ後ずさったようだった。
 だが、美鈴は構わずメイドに滲みよる。

「えっと…… ”くれないみすず”さん」

「…… いいですよ、中国で」

 美鈴は本名で呼ばれる事を諦めていた。まあ、慣れた。

「ぐすん」



―――――



 そんな紅魔館のある日。

「中国〜? 門番の仕事をサボってないかしら〜?」

 紅魔館の主であるレミリアお嬢様が、珍しく庭へ足を運びにやってきた。

「お、お嬢様!? も、もちろんサボってなんかいませんよ!」

 美鈴は、自分が裏でサボってないかを弁解する。
 館を一周するのは正味30分ぐらいだが、サボった事は、あんまり無い。

「そう、ならいいのよ。 それより中国。 アレを拾わなかった?」

「と言われましても、アレとは何でしょう」

「アレはアレよ。 強い運命を感じたのよ」

「はあ…… でも、ゴミ一つ落ちてなかったですよ…… も、もちろんサボってなんかいませんよ!?」

「あっ、そこに何か光る物が落ちてるわね」

「ゴミですか!? も、申し訳ありません!」

「懐中時計かしら? まあ、拾ってパチェにでも見せてみようかしら」

 と、こんなやり取りがあった。



―――――



 その数日後。その日は十六夜月の夜だった。
 レミリアは庭へ出て、紅霧を出していた。話によると何かの儀式らしい。
 だが、主の儀式中も、門番の仕事をサボる訳にはいかないので、美鈴は屋敷を見回っていた。
 そして、見回ってる正味30分の間で、何かが起こったらしい。
 前の日拾った懐中時計から、何かが出てきたとかいう話を聞いたが、その日は全く気にも留めていなかった。



―――――



 翌日。
 いつものように美鈴は庭を見回っていた。
 だが、その日の紅魔館はいつもと様子が違っていた。

「中国の姐さ〜ん」

 紅魔館の中から、メイドが慌てて飛び出してくる。
 その背中の羽には、銀製のナイフが突き刺さっており、明らかに館内部で何かが起きたことを暗に示していた。

「ど、どうした!? くっ、傷は浅いですよ!」

 美鈴は気を使い、メイドの傷を癒す。
 その様子から、館の中で異変が起きている。と美鈴は思った。
 自分が見回ってる正味30分の間に、何者かが侵入したのではないか。
 お嬢様に怒られる、という事を美鈴は最初に心配した。


「な、何が起きたんですか!? 」

 美鈴が、いつの間にか敬語を喋ってるのを気にも留めず、メイドは異変について話し始めた。



―――――



 美鈴は、主に庭で門番をしているため解らなかったが、
 メイドの統率が取れてないのは、それなりに深刻な状況だったらしい。
 特に、レミリアの友人で、喘息気味の魔女の、パチュリーは、埃が舞う中で大変な思いをしていたそうだ。


 そこで、レミリアは、昨日拾った人間をメイド長として雇ったらしい。
 人間は吸血鬼であるレミリアにとっても、襲う対象でしかないはず。
 だが、レミリアは『清掃係としては優秀だからいいじゃない』と言って、メイドの意見を取り合わない。

「いかにもお嬢様らしいですね……」

 美鈴は心底そう思った。吸血鬼というのは得てして我侭なのである。

「しかし、その人間が問題だったんですよ」

 いくらメイドとは言え、ここに住む大体のメイドは悪魔だ。
 悪魔の一種である以上、人間を襲うのはお約束だ。お約束だから人間を襲うのだ。
 そういう訳で、レミリアが見てない内に、メイド達はその人間を襲った。
 だが、メイド長の人間は強かった。
 「瞬間移動」や「増えるナイフ」などと言った手品を駆使し、銀の投げナイフを的確に撃ち放ち、即座にメイド達を返り討ちにした。
 そして、その人間は紅魔館の空間をいじり、メイドらに命令を出して紅魔館を仕切っているという。



―――――



 美鈴には、それが信じられなかった。
 人間に、悪魔の館が仕切られてる? そんなバカな。

「パ…… パチュリー様は何と言ってるんだ!?」

「それが、問いただしても『埃が舞う事が少なくなったから人間でも別にいいじゃない、げほっげほっ』との事で」

「なら、小悪魔さんは!?」

「小悪魔さんも『本棚と本棚の間が広くなって、本を取りやすくなりましたし……』とか、むしろ喜んでます!」

「じゃあ、妹様はどうだってんですか!」

「落ち着いてください中国の姐さん! 何で、そこで妹様が出てくるんですか!?」

「それじゃあ、お嬢様は!?」

「そのお嬢様が『清掃係としては優秀だからいいじゃない』って言ってるんですよ!」

「くそっ!」

 美鈴は、状況を深刻に感じていた。
 そして、それを問い詰めるべく、仕事を放り投げて、紅魔館の中へ突入した。



 紅魔館は複雑に入り組んでいた。
 メイド長の人間が、空間をいじったのが原因らしい。
 外から見えてるよりも、紅魔館の内部は広くなっていた。
 これは異常だ……。
 そう思い、美鈴は、パチュリーが居る図書室へ急いだ。



―――――



「これはどういう事なんですか、パチュリー様!」

「図書室でギャアギャア喚かない」

 パチュリーは、紅茶を飲みながら、魔道書を読んでいた。
 現状をまるで気にも留めないパチュリーの様子が、美鈴には信じられなかった。

「いいですか!? 人間ですよ人間!
 たかが人間ごときに悪魔の館のメイドが仕切られる事という事が、どれだけおかしいか……」

「ケーキ出来たよ、60年に一度しか咲かない竹の花を使ってるよ」

「うん、ありがとう」

 銀毛のおさげ髪をしたメイドが、全く気配を感じさせずに、美鈴の横へ現れた。
 どうやらケーキを作ったので、ティータイムのために、運んできたらしい。
 60年に一度しか咲かない貴重な竹の花を、惜しげもなく使ったケーキを、パチュリーは口に運ぶ。

「それでパチュリー様!?」

「ティータイムにギャアギャア喚かない」

 パチュリーが竹の花ケーキを口に運んでいる最中、美鈴は黙ってそれを見ていた。
 そして、時間をかけてパチュリーは竹の花ケーキを食べ終わる。
 紅茶で口直ししてパチュリーは、メイドに感想を言う。

「貴方は料理の腕前もいいのね」
 と、パチュリー。

「肝心な記憶が無いのに、何故かこういうスキルだけ覚えてたんだけどねえ。まあいいか」
 と、銀毛のメイド。

「あ、あの? このメイドさんは?」
 と、美鈴。

「誰?」
 と、銀毛のメイド。

「そっちのメイドが、昨日から働いてもらってる十六夜咲夜。
空間をいじるのが好きで、勝手にウチの空間をいじってるみたいなんだけど、レミィは家が広くなったって喜んでるみたい
そっちの中国妖怪が中国。この館の門番」
 と、パチュリー。

「出来れば本名で呼んでくださいよぉ」
 と、美鈴



―――――



「って、ちょっと待てぇ! あんたが噂のメイド長か!」

「噂になってたとはねえ」

 猛る美鈴に対して、目の前の咲夜と言う人間は、紅い眼で惚けた様子だった。

「突然、大声でギャアギャア喚かない」

 それはともかく。

「それはともかく、人間がウチでメイド長やるなんて四千年ぐらい早いんだよ」

「じゃあ、あんたは何が出来る。門番係?」

「そう、私は門番だよ」

「だったら、仕事サボるなよ。お嬢様に怒られるじゃない」

 咲夜はそう言って、懐からスペルカードを取り出す。弾幕ごっこが始まろうとしている。

「中国四千年の歴史を見せてやるよ」

 美鈴も身構え、スペルカードで挑もうとした、宣言しようとした。
 その時、パチュリーの言葉が、二人を遮った。

「やるなら他の場所でやって。少なくとも図書室でギャアギャア騒がないで頂戴」



―――――



 パチュリーの言葉によって、美鈴と咲夜は、場所を図書室から別の場所へ変える事となった。
 選ばれた場所は、紅魔館の庭。
 ここで、美鈴と咲夜が激突する事になる。

「十六夜咲夜、一つ確認しとく」

「何かしら。あんたの限られた時間の中で言ってみな」

「私がお前を倒したら、私がメイド長になる。 まあそういう事でいいんだね」

「そう言って返り討ちにあった人は、トリウム崩壊系列の数と同じぐらい多いわ。 あんたを倒せば、その数より多くなる」

「返り討ちにあった人って、ウチのメイドの事?」

「あなたの時間は私のもの。古風な中国妖怪に勝ち目は、ない」




 皮肉で皮肉を返すやり取りが続いた後、両雄が懐からスペルカードを取り出す。

「中国の姐さん頑張れー!」

 他のメイド達が見守る中、激突が始まった。



―――――



「華符「破山砲」!!」

「傷符「インスクライブレッドソウル」!!」

 両者がスペルカードの宣言を行ったのは、弾幕ごっこが始まったと同時だった。
 そして、両者共に距離を測る。

 咲夜が空間移動で、位置を変えつつ美鈴を幻惑するように動くのに対して、
 美鈴は「震脚」という、地面を勢い良く踏み鳴らす動き方で、咲夜を威圧する。
 傍目から見れば、対照的な移動方法だった。
 互いに間合いを図っていた。

「そのドンドンっていう動き方はハッタリかい?」

 咲夜は、瞬間移動しながら、美鈴を挑発する。
 あえて、攻撃方法の一つらしい投げナイフを使わない事も、挑発の一つなのかもしれない。
 確かに「震脚」の使用用途に、ハッタリはある。
 地面を踏み鳴らす事で、自分を強く見せるという用途が。
 だが、もう一つ「震脚」には、重要な使用用途がある。

 それを見せ付けるかのように、美鈴は咲夜より先に仕掛けていった。
 咲夜が現れた場所を勘で予測し、そこへ猛スピードで飛ぶ。

「震脚ってのは、攻撃のためにやるんだよ!」

 震脚の用途として、ハッタリ以外に
 自分の見かけの体重を増やし、技の威力を挙げること。
 そして、相手の足を踏みつけ、足の甲にダメージを与える、という用途がある。
 美鈴は、その二つの用途のために、震脚を使用した。

「くっ!」

 美鈴は、咲夜の足の甲を踏みつけ、動きを封じる。
 咲夜に瞬間移動をする間も与えず、美鈴は次の一撃を見舞う。

「破山砲!!」

 七色の衝撃波を伴う強烈な一撃を与える。それが破山砲だ。

「くうっ!」

 破山砲の直撃を食らった咲夜の体は、垂直に飛び上がり、そのまま重力によって地面へ叩きつけられる。
 その衝撃によって、咲夜は地面に倒れ伏す。
 美鈴は咲夜を見下ろして言った。

「どうだい? これが中国四千年の歴史ですよ」

 美鈴は勝利を確信していた。
 だが、咲夜の様子が先ほどまでとは違っていた事に、美鈴は少しだけ気づくのが遅れた。

「四千年…… ねえ」

 咲夜が音もなく立ち上がる。
 時を止めたのだ。その間に立ち上がったのだ。

「そ、そんな……」

 もちろん、咲夜が時を止めてる最中に立ち上がったという動作は、美鈴には知覚出来ていない。
 だが、動作もなく立ち上がられたという驚きが、美鈴の心に隙を与えていた。

「だったら、あなたが積み重ねてきた中国四千年の歴史。今から放つスペルカードの歴史で割ればゼロよ、きっと」

 咲夜は、いつのまにか懐から大量のナイフを取り出していた。
 それでも美鈴には、咲夜の紅い瞳だけが鮮明に写っていた。





「インスクライブレッドソウル」





 咲夜が幾重にも放った斬撃の嵐。
 それが、全て美鈴の体に食い込む。
 出鱈目のように見えて出鱈目ではない。計算されつくした斬撃の嵐。

 それが終わった時、美鈴の体は無残にも切り刻まれ、地面に倒れ伏していた。
 美鈴が破山砲を放った、先ほどの状況とは逆になった。咲夜が美鈴を見下ろしていた。

「永久から見れば貴方は颯爽」



―――――



 それでも、なお美鈴は立ち上がる。

「まだやるのかい?」

「永久だか颯爽だか知らないけど、まだ終わっちゃいないんですよ」

「そう。でも、私も永久なんかに興味はないねぇ。永遠は紅より儚いし」

 ダメージとしては恐らく五分と五分。
 美鈴もインスクライブレッドソウルの切り傷が残っているが
 咲夜も、破山砲で内臓にダメージを与えただろう。人間ならばなおさらだ。



 そして、両者はスペルカードを宣言する。

「幻符「華想夢葛」!!」

「幻符「殺人ドール」!!」



―――――



 偶然。そう、偶然。
 その時、美鈴と咲夜が使用したスペルカードは、同じ「幻符」同士だったのだ。
 だが、これも二人の主に言わせれば偶然ではないのだろう。
 運命。そう運命だ。
 「幻符」と「幻符」の激突。
 それは、見物していたメイド達に手の汗を握らせた。



 先に動いたのは、美鈴の「幻符」だった。

「幻符「華想夢葛」!!」

 美鈴の「幻符」が放つ青い雨が、咲夜に襲い掛かる。
 法則性が無く、非常に避けにくい。
 また美鈴の細かな動きが、咲夜を幻惑する。

 「幻符」同士の戦闘はどうなるのか、誰にも予想はつかなかった。





 結論から言おう。





 先にスペルカードを使用した時点で、





 美鈴は負けていた。





「幻符「殺人ドール」」





 咲夜の「幻符」は、360度全方向に撃ち放つ投げナイフだった。
 それは、美鈴の「幻符」による青い雨を打ち消す。咲夜にはカスリもしない。
 そして、咲夜の「幻符」が、美鈴に襲い掛かる。



「ちょっ…… まっ!」

 美鈴は文字通り「殺人」されてしまったのだった。
 厳密に言うと、美鈴は「人」ではないが。

「南無〜」

 大量に増えるナイフが、美鈴に突き刺さる。
 こうして、幻符同士の対決は、咲夜の勝利で終わった。
 そういう事で、咲夜はメイド長として紅魔館を取り仕切る事が継続される事となった。



―――――



 ちなみに咲夜は美鈴を助けていた。
 『死なれると後味悪いから』と咲夜は言う。
 それがメイド達の心に響いた。
 「幻符対決」も、忘れられない名勝負だった。
 それに、咲夜が十分に妖怪染みた人間だという事はわかった。
 という訳で、紅魔館で咲夜に逆らうメイドは居なくなったのだ。雇われてから二日目で。



―――――



 翌日。
 とある一室で掃除をしていた咲夜は、その部屋のベッドで寝かされた美鈴に対してある質問をした。

「「紅」と書いて「ホン」と読むのよね。「鈴」は「リン」?」

 美鈴は、自らの耳を疑った。

「そ、そうですよ……」 

 咲夜の言葉に、美鈴は淡い期待をかける。
 遂に本名で呼ばれる日が来るのか。いや、来たのだ。

「ならば、あなたの本名は「中国」じゃないね」

「そうです! 十六夜咲夜…… いや………… 咲夜さんッ!」

「なら、あなたの名前は……」

 美鈴は、ベッドから立ち上がり、咲夜の元へと駆け寄る。
 遂に本名で呼ばれる日が来るのだという期待が、美鈴を奮い立たせていた。

「さーくやさーーーーーん!」

 美鈴は、咲夜に抱きつかんとする。
 眼には涙を、浮かべていた。
 長かった。中国と呼ばれる日々が。本名で呼ばれない日が。
 だが、それも終わる。と思っていた。

「ほんみりん?」 

 名前は間違っていた。

「まあ、お嬢様もみんなも「中国」って呼んでるし、「中国」でいいか」

 中国と呼ばれる日々も終わらなかった。

「そういう訳で、治ったら庭へ行く。私と違ってあなたの時間は有限なんだから」

「はいぃ…… 咲夜さん……」

 こうして中国妖怪な門番の一日が、また始まる。

「ぐすん」



―――――



<あとがきっぽいの>

 咲夜にタメ口を聞く中国を書きたかった。今は反省している。
 ギャグ多め。カッコイイ中国分多め。戦闘分多めの話です。

 中国は敬語を使ってるイメージが強いですが、今回は咲夜さんにタメ口聞いてます。
 最後には敬語になりますが。まあ、今回は最初だからという事で。

 震脚に関しては、本当に「見せるため(ハッタリ)」「攻撃の威力を上げるため」「フェイントや足の甲を踏みつける」という用法で使用されるらしいです。


 さて、今回のような話を作ったのは、紅魔郷のこの会話がキッカケだったりします。

魔理沙「ってことは、私があなたを倒せば メイド長ってことね」
咲夜「そういって返り討ちに会った人は トリウム崩壊系列の数より多いわ」
魔理沙「あ、結構普通なんだな そういうことって」


 そう、メイド長になると言って咲夜に挑み、返り討ちに会った人は多く、結構普通らしい。魔理沙はメイドじゃないのでなれませんが。
 となると、人間がメイド長になる事に、それなりに反発があった気がします。
 咲夜が紅魔館に来た時期は、紅魔郷の直前だと思うので、それから結構ごたごたしてたのでしょう。紅魔郷以後もごたごたしてますが。
 そういう発想から書いてみたSS。色々あって咲夜も認められたという話。あと、中国の話。


 それと、今回の話について設定的な話を二つほど。
 紅魔郷における中国の攻撃方法を、設定に生かしたつもりです。

 一つは、メイド達と中国が仲良しという設定。
 一応説明しておくと、紅魔館で働くメイドは咲夜を除いて、全て非人間というのがこのSSの設定にあります。
 まあ公式設定でも背中に羽生えてますが。エルナビの東方香霖堂、第十七話「月と河童」の扉絵が解りやすいかもしれません。
 しかし、何故メイド達と中国が仲良しという発想になるかというと、紅魔郷で中国が使う攻撃に理由があります。
 虹符「彩虹の風鈴」直後の通常攻撃に、メイド達が後ろから現れて、自機狙いの援護攻撃を放つというのがあります。
 ここから中国はメイドと仲良しという設定が生まれてきました。
 あんた一人で陣じゃなかったんだね! 簡単に避けられる攻撃だけど!

 二つ目は、幻符対決。
 最近知ったのですが、中国には幻符「華想夢葛」というスペルカードがあるそうですね。
 現時点ではノーマルノーコン程度の腕前なので実際に見たことないですが、リプで見ました。
 幻符……と言えば「殺人ドール」
 そういう訳で、最後は幻符対決で締めました。
 「殺人ドール」は、紅魔郷の時点において「メイド秘技」ではないか? というツッコミは無し。
 秘技なんで、外からの侵入者に撃たないと意味がないんですよきっと。中国が外敵じゃないから秘技じゃないんですよきっと。

 弾幕の内容とタイトルは、全てを物語る。という事でどうでしょう。
 これも一つの解釈という事で。

 あと、咲夜の口調がちょっとおかしめなのも、紅魔郷以前の話だからです。
 咲夜の性格は、シリーズごとに少しずつ変化していくイメージがあります。
 紅魔郷→狂い気味
 妖々夢→かなり短気
 永夜抄以降→結構暢気
 というイメージが。
 これは、性格の変化が咲夜の中にあったのではないか?と思ってます。人は日々変わります。妖夢も然り。
 どの咲夜さんも好きです。



6.空飛ぶ巫女と”時計”の死骸



 悪魔が住む紅魔館。
 窓の少ないこの館の、長い廊下での出来事。
 ここで、二人の少女が弾幕ごっこに興じていた。
 一人は紅白の服を着た少女。もう一人は銀髪のメイド。

「霊符『夢想封印』!」

 博麗霊夢は、スペルカードの宣言を終えると同時に、自らの周りから現れた、六つほどの虹色の光弾を撃ち放つ。
 『夢想封印』は、霊夢にとって、真っ直ぐ飛んでいってる。が、相手にしてみれば、どこまでも追尾するように見える。
 夢想封印は、霊夢の周りを飛び回るナイフをかき消しつつ、対峙する銀髪のメイド…… 十六夜咲夜へと襲い掛かる。



−−−−−



 そして、夢想封印による虹色の光弾が消えた時。
 光の中から現れた咲夜は、皮肉めいたように薄い桃色の唇を歪めていた。
 咲夜の赤い瞳が、更に紅みを増したようにも見える。

「ただの紅白だと思ったら、中々やるじゃない」

 そう言い、笑みを浮かべる咲夜。
 彼女は、先ほどまで霊夢によって、ゴミのように撃墜されてきた、ただのメイドではない。
 このメイドは強い。それは明らかな事実。
 だが、霊夢は焦らない。

「それで? さっき、何て言ってたっけ?
ああ……”でも、あなたはお嬢様には会えない。それこそ、時間を止めてでも時間稼ぎが出来るから”だっけ?
このままじゃ時間稼ぎにもなんないんじゃないの?」

 いつでも皮肉を忘れないのが、彼女達の流儀だ。
 そして、皮肉には高速で皮肉を返すのも、また流儀だ。

「これから時間を止めるわ。そして、あなたは、無限の時間に恐怖する……」

 そして、咲夜は懐からスペルカードを取り出して、宣言をする。

「幻在『クロックコープス』」

 そして時が止まる。



−−−−−



「(う、動けない?)」

 咲夜が、スペルカードを宣言したと同時に、霊夢の体は全く自由が効かなくなった。
 指一本すら動かない。声も出せない。凍りついたように動かない。

 いや、その中で咲夜は、一人だけ動ける人物が居た。
 咲夜は、一人だけ止まった時を動き回り、霊夢を仕留めようとナイフを投げていた。
 ナイフは霊夢の眼前…… とまでは行かないが、三尺程度まで近づいて、空中で静止していた。

「ふふ…… 見えてる事が逆に恐怖だあね」



−−−−−



 霊夢を取り囲むように、咲夜はナイフを投げる。
 ”Clock Corpse(クロックコープス)”と書いて”時計の死骸”と読む。
 少々意訳が異なるが、このスペルカードは、”時の死”をイメージした物なのだろう。
 咲夜は、時を殺す。



−−−−−



 そして、”時計の死骸”は息を吹き返す。



−−−−−



 空中で静止していたナイフが、ゆっくりと霊夢に向かって飛んでいく。
 だが、ナイフが動くと同時に、霊夢も体が動かせるようになっていた。
 それを確認した上で、霊夢は右へ大きく避ける。無論、本人は真っ直ぐ飛んでるつもり。
 ナイフが、霊夢の体に突き刺さらず、明後日の方向へ飛んでいく。



−−−−−



 一瞬の隙をついて、霊夢は、咲夜の正面を取り、五枚のお札と、相手を追尾するアミュレットを目一杯撃ち込む。
 咲夜は動揺しているのか、豆でっぽうを喰らったような表情をして、お札とアミュレットの嵐を浴びていた。

「どうしたってのよ。スペルカードが避けられた事が、そんなにショックだったっての?」

 動揺を受けてるらしい咲夜に、思わず霊夢も攻撃を止めて語りかける。

「時間を止めたのに、あなたは怖がらないのね」

「はあ? 時間を止めれるから何よ。そんなことに何か意味があるっていうの? 
まあ、攻撃としては厄介かもしれないけど。それでも避けれるよう出来てるじゃない」

「あなたみたいな人も珍しいわね。 そんな人間が、この屋敷に何の用?」

「だから、あんたのお嬢様に紅霧を止めさせに来たんだって、さっきから言ってんでしょうが」

 霊夢にとって、あらゆる脅しは意味を成さない。全ては成すがままである。
 それが空を飛ぶ程度の能力の本質だ。



−−−−−



 一方の咲夜は、時を止めたあげく、眼前にナイフを投げられても動じない霊夢を見て、ひとしきり驚いた後、
 再び、薄い桃色の唇に、不適な笑みを浮かべ始めた。





 −本当に珍しい人間も居る物だ。
 この館に来るまでの記憶が咲夜には無いが、それでも、この能力のせいで人間から恐れられてきたのだと感じる。
 そして、この能力を見ても動じない人間に出会ったのはこれが初めて、のような気がした。





 今宵は永い夜になりそうだ。



<続>



−−−−−



 <当時のあとがきっぽいの>

 東方銀夜咲シリーズ第六弾です。
 見ての通り、 霊夢VS咲夜です。東方紅魔郷5面の話。
 このSSの霊夢は、霊符(ホーミング)を前提にしてます。

 魔理沙VS咲夜にしようかとも思ったけども、考えた結果、霊夢の方がしっくり来ると思ったので、霊夢VS咲夜な話に。
 魔理沙の出番は、もうちょっとしてからの予定。

 紅魔郷時代の咲夜さんの口癖が「〜だあね」だったに違いないと思う今日この頃。
 ルーミアの「そーなのかー」と似たようなもの。

 前にも書いたように、咲夜さんの性格はシリーズごとに変化していくイメージが。
 紅魔郷→狂い気味
 妖々夢→かなり短気
 永夜抄以降→それなりに暢気
 というイメージ。このSSでは紅魔郷時代なので、ちょっと口調が狂い気味なのは仕様です。
 シリーズが進むにつれて口調が穏やかになっていくのが咲夜さん。天然ボケも進んでいくように見えるのも咲夜さん。

 そういう事で。
 


06年03月20日(月)


番外編、今宵の月は十六夜

「これが真実の満月よ、いつ頃だったかしら、この満月が地上から消えたのは、満月から人を狂わす力が失われたのは……」

 確かに、彼女はそう言った。
 咲夜は、その事を知っている。
 真実の満月は、妖怪に力を与える一方で、人を狂わす。
 だが、人であるはずの咲夜は、真実の月を見ても狂わなかった。
 何故、咲夜は狂わなかったのか?

「……咲夜は危なくなかったわね、鍛えてあるし」

 確かに、彼女はそう言った。
 ならば、咲夜にとってそれでいい。
 幻想とは、理屈ではなく、感じる物なのだから。



 だが何故、満月の事を知っているのか咲夜自身にも解らない。
 普段月に見える丸い物は、天蓋に写っているだけのダミーでしかない事も。
 だが何処で、満月の事を知ったのか咲夜自身にも解らない。
 それでも咲夜は、何も困らないし、別に死ぬ訳でもない。
 幻想とは、理屈ではなく、感じる物なのだから。



−−−−−−



 咲夜には、ずっと昔の記憶が無い。
 彼女にとって最も原初の記憶は、まじまじと見つめるレミリアの顔だ。
 その記憶は、鮮明に脳に焼き付いている。

「貴女の名前は、今日から十六夜咲夜よ」

 気が付いた時には、紅魔館のメイド長として彼女に仕えていた。
 それが”十六夜咲夜”の全てだ。
 だが、その暮らしは衣食住に困らず、住人も、一部の人間も、自分の能力に関係なく接してくれる。
 これほど、咲夜に快適な暮らしは見つからなかった。



−−−−−−



 紫の絨毯が敷かれたかのような、鈴蘭畑。
 そこに咲夜は居た。
 花の異変を解決するために奔走した際に、一本だけナイフを落としてきたので、それを探すためだ。

 あの時、咲夜はここに住む人形と弾幕ごっこをした。
 その後、毒に満ちたこの場所に長居は無用と急いで出て行った。

 今にして思えば、その時に、ナイフを回収し忘れたに違いない。
 だが前に訪れた時に比べて、攻撃的な雰囲気を咲夜は感じなかった。
 前に来た時は、他者への敵意というのだろうか。
 そういった物が、現在の鈴蘭畑では薄れている。
 


−−−−−−



 しばらくそこを歩いていると、色んな記憶が蘇ってきた。
 だが、それはずっと昔の記憶ではなく、十六夜咲夜としての記憶。
 戦い…… いや、勝負の記憶か。
 過去の記憶がない自分自身が、その自分に積み重ねていった記憶であった。
 霊夢、魔理沙、妖夢、幽々子、萃香、鈴仙、永琳、輝夜、妹紅、文、メディスン、小町、四季映姫。
 どうして自分は勝負し続けるのか。

「……ふっ、らしくないわね」

 そんなものはお嬢様のためだと、決まっている。
 ふと、スクエアの中は、既に中身が無く、空虚そのものであると、そんな事を思った。
 理屈は無い。
 幻想とは、理屈ではなく、感じる物なのだから。
 少なくとも、今の生活が幸せだというのは、咲夜の真実だ。
 彼女は空虚ではない。



−−−−−−


 そうこうしている内に、あまり出会いたくない類の妖怪に遭遇した。
 この鈴蘭畑の主、メディスンである。

「コンパロ、コンパロ〜 あら? 久しぶりねって今回は襲わないってば!」

 咲夜は前の経験から、遭遇戦になると読んで、ナイフを懐から持ち出していた。
 だが、相手に前のような敵意を感じなかったのでナイフをしまう。

「何か、魂胆でもあるのかしら?」
「いやいや、毒だって避けてあげているし、何なら毒入り紅茶が好きな人達のために、毒を分けてあげてもいいわよ」
「いやいや、紅茶に毒を混ぜるのは止めたのです」

 そういえば、前にそんな事を言ったような気がするが、よく思い出せない。
 少なくとも、レミリアやパチュリーの紅茶に毒を混ぜるのを止めたのは事実だ。



−−−−−−



「そう、子供は苦い物を嫌うものね、紅茶然り、ピーマン然り、薬然り」
「あっ、えーりんよく来てくれたね」
「って、何故貴女がここに居るのかしら」

 空から降りてきたのは、永琳であった。
 宇宙人である。
 常人には、宇宙人の行動も、思考回路も不明である。

「ええメディスン、ほんの少しでいいから毒を分けてくれないかしら」
「うん、いいけど何に使うの?」
「私の主が、友人に毒入りの日本茶を飲ませてあげたいというので、ちょっとね」
「うん、わかった!」

 そう言うと、メディスンは呪文を唱え始めた。
 意味があるかどうかは、咲夜には解らなかったが
 とくに意味があるかなど関係ないのが、幻想というものだ。

「それで、先ほどの私が何故ここに居るかという問いに対しての答えだけども、事象の因果系列に対して、それに含みえない事象または因果的に予測できない事象が生起したから、ここに居るわね」
「難しすぎて、何言ってるのかよく解らないわね」
「私が彼女に用があってここまで来た時間と、何かの訳があってここを訪れた時間が、一致してるという事よ、一言に直せば偶然」
「あら、時間と時刻は別物よ」
「流石にその辺はわかってるようね、今時間と形容したのは、単なる表現方法の一つよ」

 宇宙人の天才は、思考回路も、言ってる事も、常人には理解するのが難しい。

「あと、その輝夜への友人というのは妹紅の事かしら」
「そうだけど、何故分かったのかしら?」
「友人というのが引っかかるわね、そもそも妹紅は輝夜が殺し屋を差し向けて消そうとしていると言ってたけど」
「それは誤解ね、彼女は下手な妖怪以上に強い力を身につけているし、うちのウドンゲやてゐでは勝ち目もない、そもそも殺す事も出来ないから殺し屋とは言えない」
「確かに言えるわね」
「それに、不老不死というのは得てして暇だから、精神的な鬱憤が溜まるのよ、だから姫も彼女もお互いに弾幕ごっこで発散している」
「本人達は、殺しあってるつもりのようだけど」
「本来の弾幕は複数の敵相手に張る物よ、でも弾幕ごっこでは大体1対1だし、多くても3対1、本気で殺す気なら、それらを一点集中させれば済む事よ、死なないけど」
「遊びって事ね、死なないけど」
「竹林で火災が起きたら姫と彼女は、協力して消火作業するしね、あの二人はああ見えて仲が良いのよ」
「その火災の原因は、妹紅にあるのじゃないのかしら?」



 良く分からないやり取りが続くが、これも彼女らのコミュニケーションである。



−−−−−−



「”今の”貴女は、飼い兎に見える」

 ふと、咲夜は呟いた。
 何故かは解らない。
 だが、ふと思ったのだ。

「そうね、姫はウドンゲやてゐをペットとしてみているけど、ウドンゲやてゐ達には自覚がないでしょう、それでいいわ、でも私は違う、その辺を自覚しているし、そう見られる理由も把握している」
「どういう事かしら?」
「”今の”貴女は、飼い犬に見える」
「見た感じで物を言うな」
「そう、それが答えよ」

 咲夜には、永琳の言った事を理屈で理解する事は出来なかった。
 だが、感覚でわかるような気がする。
 他人から狂ってると見られていても、命と人生を賭けてでも、守りたい者が居る。
 その点で、咲夜と、永琳は共通していた。
 二人は使える主が違えども”従者”だからだ、だからこそわかる。



−−−−−−



「はい、こんなものでいいかしら」
「そうね、これぐらいなら彼女も喜んでくれるわね」

 メディスンが永琳に渡したのは、禍々しいほど紫に染まった鈴蘭だった。
 相当量の毒が含まれているのだろう。
 だが、それが含んだ日本茶を飲んで妹紅がどうなろうとも咲夜にはあんまり関係なかった、そもそも毒ぐらいじゃ死なないだろうし。
 第一、どうやって一応は敵対しているはずの妹紅に飲ませるつもりなのか?
 その方法に興味はあったが、知らなくても、特に死にはしない。

「落し物を探すつもりが無駄に時刻を消費したわ」
「その落し物とはこれかしら?」

 ぼやく咲夜に対して、永琳が猛スピードで銀色の何かを投げる。
 咲夜は、軽く時を止めて、投げられた物体を見据える。
 それは、探していたナイフだった。
 そして時は動き出す。

「事象の因果系列に対して、それに含みえない事象または因果的に予測できない事象が生起したから、私が貴女の落としたナイフを拾った」
「偶然ね」
「そう偶然、ここまで来ると”運命”すら感じるわね」

 運命、か。
 そう思い、咲夜は”それ”を操る主人を思い出す。
 運命とは過去にある。
 過去の事柄を見て、それを運命と認識するものだ。



「さようなら、サクヤ」
「さようなら、エーリン」




−−−−−



 咲夜にとっては、あの永夜異変で永琳と初対面なのだ。
 それでいいのだ。
 幻想とは、感じる物なのだから。



 
 空を見上げてみた。
 先ほどよりも、少しばかりくっきりと月が見えた。

「今宵の月は十六夜……か」



〜完〜



 <3年半後の解説>


 ぐへぇっ!

 誰か素粒子扇子を持ってこい!
 そういうわけで求聞史紀や儚月抄が出るずっと以前の超設定SSです。
 綿月姉妹なんかもちろん影も形もありません。
 それでも残しておくと歴史になるのかなと思ってサルベージしてみました。
 設定がおかしいのは割り切ってくれると助かります。
 ちなみにこの後書きを書いてる時点では筆者は咲夜=月の民説を捨ててます。

 しかし咲夜のキャラ性格の解釈は当時からあまり変わってないかなーと再確認。
 永夜抄以降から丸くなりましたよね、彼女。
 それはそれで有りということで。
 咲夜が丸くなったのは霊夢や魔理沙といった友人や、紅魔館の家族の影響なんでしょうね。
 人間は日々変わるものです。
 そういった緩やかな変化が幻想の世界の癖してどことなく現実的な東方が当時も今でも好きです。

 後、続きません。
 続きはゲームでね。

09年11月16日(月)




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