六十年経つと『記録』に残ってる出来事だけを残して、その他の『記憶』が消えていくのである。
 記録に残っている出来事とは、すなわち歴史である。
 歴史という物は非日常を集めた物。
 ちなみに非日常時は時間が止まる。それ故に六十年前より昔は時間が止まっている。
 言い換えれば、時間の進む日常の寿命は六十年である。
 六十年前の記憶が消えていくのは、日常に寿命が来たから。



 魔理沙の家がある魔法の森は、花映塚の時期でも花は咲かない。
 魔法の森は時間が止まらず、すなわち、ここには歴史がないから。



 妖怪に流れる時間は、人間の間で流れる時間より非常にゆっくりと流れる。
 それでも少しずつ、記憶の中の過去は美化されていく。
 それは人間もであれ、妖怪であれ、あらゆる生き物にとって、生きていく事は辛い事の積み重ねだから。
 過去を美化出来ていないと「あの時はもっと悪かった、それに比べれば今は幾ばくか良い」という諦めの念が支配するようになる。
 過去が美化していく事は、生き物が長く生きるために必要な事であり、
 これを持ち合わせず何時までも過去の悪かった所しか見ていない者には未来がないに等しい。



 無緑塚にて、紫は、霊夢に花映塚の異変(花が咲き乱れる異変)を教えようとする。
 本来、そう言うことは『適任』が居て妖怪である紫がやる事ではないらしい。



 何故、六十年越しに記憶が死ぬのか。
 それは、面白くない事であるが故に、紫も忘れていたらしい。
 まず幻想郷の自然には、全く干渉を受けない属性が三系統ある。
 その三系統全ての組み合わせで自然は全て説明出来る。

 三系統とは、お日様と、お月様と、お星様という一系統。
 お日様には人を惹きつける絶対的な魅力と、お月様もお星様も消してしまうという傲慢さを持つ。
 お月様は満ち欠けで自らの姿を変えるところに、協調性と優秀普段さを持つ。
 お星様は動かない北極星から、動きに惑いを見せる惑星、一瞬だけ顔を見せる流星、と多様性と非協調性を持つ。
 このお日様とお月様とお星様、三つを併せて『三精』と呼び、それが自然の気質を表す属性の一系統にあたる。

 次は『四季』
 誕生を意味する春
 成長を意味する夏
 成果と衰退を意味する秋
 死を意味する冬の四つ
 生命の流れを意味する属性の一系統が四季。

 最後の属性は物質の属性。
 形なき激情の火。
 全てを無に還す水。
 力強く優しい木。
 冷たく沈黙の金。
 全ての物が還る先となる再生の土。
 この五行が最後の属性の一系統となる。

 これらの三系統で、気質、生命、物質を表現し、これらの組み合わせで全ての自然を表すことが出来る。
 そしてその組み合わせの種類が、三精と四季と五行を掛け合わせた数字=六十である。
 ちなみに幽々子は、この程度の掛け算でも「きついわ〜」

 自然は、三系統を独立して順番に回しバランスを取ろうとする。
 すなわち、日、月、星、日、月……という順番に毎年属性を変える。
 そうすると六十年で組み合わせが一回りする。

 六十年に一度花が咲くのは、日と春と土の組み合わせだから。
 それは六十年に一度しかやってこない。
 そしてそれが意味する所は、あらゆる物の再生。



 最後に、紫と幽々子は「あの方」の気を感じて、逆らえないとして退散する。
 「あの方」とは、四季映姫・ヤマザナトゥの事だろう。
 そして東方花映塚エキストラの四季映姫編に続く、のかもしれない。


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