0.阿求ちゃん


 私は花屋の娘である。
 今日は人間の里にある稗田の屋敷までやって来ていた。
 この屋敷からは蓄音器からレコードの心地よい音楽がよく流れる。紅茶を御馳走になる為にここにやって来る事も多い。

 最近はレコードも街の間でそれなりに流行している。
 街の音楽ファンの間ではプリズムリバー樂団と二分する人気を誇る嗜好品だ。
 稗田家の現当主は謎の音楽集団”幺樂団”の遺した音楽をよく好んで聞いていた。

「阿求ちゃんたすけてー。このままだと妖怪に襲われるー」

 そして私はこの家の現当主である稗田阿求ちゃんに助けを求めるべく、この屋敷にやって来たのであった。

「あら、妖怪退治の依頼なら稗田家は専門外ですよ。然るべき所へ相談したらどうかしら。貴女なら獣道でも抜けて博麗神社まで向かえるでしょう」

「違うのー。頭突きされちゃうのー」

「頭突きって事はまた寺小屋で宿題が出たの?」

「うん。遅れたら頭突きされちゃう……」

 紅茶を嗜んでいる最中だった阿求ちゃんだが、私の願いに興味を持ってくれたようだ。
 私は獣人の慧音先生がやってくれている寺小屋に通っている。
 授業はよく分からないけど、幻想郷の在り方については興味があるからそこそこ顔を出している。
 私は阿求ちゃんも顔を出せばいいのにと言った事はあるけど、大半の歴史は阿求ちゃんも知っているからと流された事もある。

 そんな阿求ちゃんでも、ここ最近の幻想郷の歴史については興味を示す。
 歴史は日々の積み重ねによって今この瞬間にも作られるのだ、って慧音先生が言ってた。

「それで宿題の内容って何?」

「ここ三年間の歴史をレポートとして記して来いって……とりあえず妖怪の山に出来た新しい神社の分を提出しなきゃいけないの」

「妖怪の山の新しい神社ねぇ……前の幻想郷縁起を書いた後の出来事か」

「確かそうだったはずだよ」

 阿求ちゃんは9代目の御阿礼の子だ。
 御阿礼の子は『幻想郷縁起』という本を出版する事が使命らしい。
 前に第一巻が出て、それなりに話題になった。半年くらい発表が遅れてた気がするけど、それは阿求ちゃんが悪い訳じゃない……はず。
 私が見た所、『幻想郷縁起』とは妖怪のアピールと紹介がメインの本だった。
 だが『幻想郷縁起』の第一巻が出てから、そろそろ四年もの歳月が過ぎようとしていた。

 その後も幻想郷には様々な出来事が起こっていた。
 未来の事は阿求ちゃんにも慧音先生にも分からない。
 だからこそ振り返って統括するという事が大切なのかもしれない。

「確かに三年という期間は大きな流れを生む事が多い。私も今年の妖怪寺の件で、あの山の神社の流れが一段落したように思う」

 前回の『幻想郷縁起』が出た後も、幻想郷は様々な話題や異変があった。

 妖怪の山に新しい神社がやって来た事。
 吸血鬼がロケットを作って月まで飛んだはいいけど、月の人に負けて来たらしい事。
 気質が斬られて天候が崩れる異変らしい異変もあった。
 間欠泉が噴き出して、温泉が湧き出たらしい事。
 地底から噴き出してきた妖怪が、宝船の遊覧船を作った事。
 山の神様が巨大人形を作って河童と一緒にバザーを開いた事。
 魔理沙ちゃんが弾幕解説本を出した事もあった。

 これらは博麗神社の界隈で行われている事件が多い。
 だが巫女は良くも悪くも視野が狭い。巫女が見ている物が幻想郷の全てではない。
 里に住んでいる者にしか見えない物もあるはずだ、って慧音先生が言ってた。

「ああ、そうそう。知ってる? 阿求ちゃん。今度、妖怪のお寺さんが縁日を開くんだって」

「それは知らなかった。魔界への遊覧船も面白かったし、縁日も行ってみたい」

 妖怪のお寺さんとは、最近里の近くに出来た命蓮寺の事だ。
 魔法のメッカと呼ばれる魔界行きの遊覧船もやっていて、里の人間もその辺の妖怪も仲良く魔界の光景を楽しんだ。
 お土産屋で買った魔界せんべいは美味しかった。

 って違う違う。
 私が稗田の屋敷に来たのは阿求ちゃんと遊覧宝船の話をする事じゃなかった。
 歴史について阿求ちゃんと纏めたかったのだ。


 1.現在の歴史


「阿求ちゃん、それで歴史の事だけど……」

「まずは紅茶でも呑んで落ち着いて」

「そうだね」

 阿求ちゃんが注いでくれた紅茶を嗜む。
 とりあえずゆっくりしよう。まずはそれからだ。
 すると阿求ちゃんが私に歴史の在り方について話してくれた。

「まず歴史と言っても、それほど難しく考える必要はない。歴史なんてものは本当はすごく曖昧だから」

「うん。人間は世代を重ねて早く死んじゃうから歴史を忘れる。妖怪は好き勝手に歴史を捻じ曲げる。って慧音先生が言ってた」

「その人間が作る歴史も実は主観に満ちているんだけどね。どっちにしろ歴史というのは立場や視点によって大きく意味が変わる。それを踏まえると……」

「踏まえると?」

「要するに歴史は観測する人によって変わる。その中で説得力のある歴史だけが生き残る」

「説得力かー。そんなものなんだ」

「あるいは歴史も解釈によって評価は変わるんだけどね。だから本当は歴史というのは意味を成さない。少なくとも幻想郷においてはね」

 そう、慧音先生も言っているが幻想郷の人間にとって歴史を必要としている人間はそう多くない。
 例えば阿求ちゃんの『幻想郷縁起』も昔はもっと真面目な本だったが、今はそれほど重苦しい本とは言い難い。
 妖怪も別に幻想郷を支配してやるぞーという物は、まあそんなに多くない……はず。

「でも今の幻想郷の歴史はどう評価されるか分からない」

「それはどういう事? 阿求ちゃん」

「山に新しい神社が出来た事や、地底の封印が解けた事。妖怪のお寺が出来た事も……好意的にも悪意的にも取れるという事」

「なんとなく言いたいことは分かるような分からないような……」

「例えば私の幻想郷縁起。これも人によって面白いと思ってくれる事もあれば、真実じゃないから認められないとする意見もありました」

「捻くれてるねー。もっと軽く見ればいいのに」

「色んな人が居るという事ですよ」

「私は阿求ちゃんの幻想郷縁起は好きだけどなー」

「ありがとう。要するに歴史を記すなんて事も単なる感想文でしかない。ここ三年間で起きた出来事の感想を書けばいい……かもしれない」

 最後の”かもしれない”が私の不安を煽る。
 だが阿求ちゃんの言いたいことは大体分かった。
 私でも歴史を作ろうと思えば作れるのだ。それがどう受け入れられるかは人によるかもしれない。
 しかし、私は歴史を作りたい訳ではない。最近の歴史を纏めたいだけなのだ。

「ふうん。慧音先生はそれでいいのかな」

「多分いいと思う。例えばあの獣人は今の博麗の巫女にあまり良い印象を抱いていないでしょう」

「霊夢ちゃんもあんまり里と交流しないからねー。買い物には来るけど」

「でも彼女が首を突っ込んで起きた事も人によって色んな解釈が出来る。幻想郷や人間の里の益になる事も行ってるかもしれないしね」

「だから私達に歴史を聞いてみたい?」

「そうだと思う。だから難しく考える必要はないかな。山に新しい神社が来てから、妖怪寺が里の近くに立つまでの事を想起するだけでいい。それもまた歴史だから」

「そっか」

 上手く乗せられた気もするが、最近の歴史を考えるというのは各々の歴史解釈をすれば良いと阿求ちゃんは言いたいのだろう。
 その為にも一つ一つの出来事を想起してから、それらを繋げていこう。
 今思い返すことで何か見える事もあるかもしれない。


 2.神様


「そう言えば阿求ちゃん、幻想郷縁起には神様の事が載ってなかったよ」

「元々、幻想郷縁起は人間の為に妖怪の対策を記した書籍だったから、人間の味方である神様についてはそれほど記す必要はないかなと思ってたけど……」

「そう言えばお寺さんの人達は神様も妖怪も同じだって言ってたから訳わかんなくなっちゃった」

「どっちも精神的な存在である事は変わらないかな。ただ人間に味方する事が多いのが神様、人間を襲うのが妖怪」

「まあ色んな神様が里にも味方してくれているのも確かだもんね。秋姉妹とか」

「うーん……次の幻想郷縁起には妖怪だけじゃなくて神様についても詳細に記した方がいいのかな」

 幻想郷には人間と妖怪だけでなく神様も存在している。
 決して山で起きたゴタゴタによって生まれた訳ではない。
 例えば秋の収穫祭では、豊穣の神様をお呼びしたりする。
 冬が長引いた異変の時も、豊穣神様が頑張ってくれた。

「しかし外の世界ではもう神様は信仰されていないのかな」

「なんかカルト宗教ってのが流行ってるせいか商売上がったりらしいよ、阿求ちゃん」

「商売仇というよりは偽物の神様という事かな。よくわからないけど……」

 外の世界については、よく分からない。
 ただカルト宗教なる概念は、信仰とは別なのかもしれない。
 とりあえず幻想郷では神様はちゃんと存在しているし、人間に味方をしてくれる神様も数多い。

 秋姉妹の例が顕著だろう。お祭りを開くことで農作物もちゃんと取れる。
 今の幻想郷は昔に比べてずっと豊かだ。
 人間は神様を信仰し、神様は人間に力を貸してくれる。それは対価交換である。
 逆に言えば外の世界ではその対価交換が成立していないという事なのかもしれない。
 勿論、秋姉妹の事は一例であり、他にも色んな神様が味方してくれている。

「霊夢ちゃんは意識してなかったけどあの子は平等に叩きのめすからねー」

「そもそも今の巫女は人間も妖怪も神様も区別してなさそう。自分の神社の神様についても知らない節があるし」

「ねえ阿求ちゃん。博麗神社に神様なんて居たの?」

「居る。でもそれは別にいいや」

 霊夢ちゃんが見ている幻想郷は、また私達と違って見えるのだろう。
 だが、それも幻想郷の一つの解釈でしかない。
 霊夢ちゃんが敵だと思ってる存在も、街に住む私達にとっては味方だという事も有りえる。
 というか幻想郷なんてそんなもんだ。
 精神的な存在である妖怪は、ありとあらゆる概念を真実とするのである。

 例えば山に住む河童は、天狗の部下ではある一方で人間にとっても盟友である。
 阿求ちゃんの蓄音器が壊れた時に修理してくれるのも街に派遣されて来た河童だ。
 最近でも人間と河童のハーフの子が引き起こした問題で色々あったが、それについては今は置いておこう。
 今は山に出来た新しい神社について考えたい。


 3.守矢神社と分社


「それはさておいて山の神社の話だね」

「天狗や河童、しまいには博麗の巫女まで巻き込んで色々とゴタゴタがあったらしい。結局は和解したみたいだけど」

 異変……と言っていいのか分からないけど、とりあえず何かしら抗争があったらしい。
 全て酒に流して終わったというソースは文々。新聞だが、あの新聞も博麗神社界隈の情報を知るには役に立つ。
 一つの主観だけが正しいとも限らないから、色んな意見を踏まえた上で自分で考える事が大事なのだ。

 勿論、阿求ちゃんの幻想郷縁起も視点として踏まえておきたいと私は思う。
 文々。新聞や魔理沙ちゃんの魔道書も面白いけど、幻想郷縁起の方が情報は纏まってると私は思う。
 それもまた私の解釈でしかないけど、まあ阿求ちゃんが非戦闘員ってのも確かだしね。でも非戦闘員じゃなきゃ見えない物もある。
 ……ああ、また思考が脇道へ逸れちゃった。今はあの山に出来た神社の話だ。

「ああ、それであの神社……の名前ってなんだっけ、阿求ちゃん」

「守矢神社」

「そうそう、その守矢神社は幻想郷にどんな影響を与えたのかな」

「まず博麗神社に分社が出来た」

「あの鳥小屋だね」

「そう、あの鳥小屋」

 どうも博麗神社(というか霊夢ちゃん)と守矢神社の協議の結果、守矢神社の分社を博麗神社に作ることで手を打ったようだ。
 分社とは言うものの単なる鳥小屋にしか見えない。
 恐らく霊夢ちゃんの嫌がらせだろう。

「でも阿求ちゃん。分社って有りなの?」

「神様は分霊になるから分社を信仰しても神様の徳になるね」

「いやそうじゃなくて、博麗神社の信仰を奪われやしないかって事よ」

「うーん。信仰は零より減る事はないからね。守矢神社の分社を信仰すれば同時に博麗神社もついでに信仰する事になるしね」

「つまり守矢神社のおかげで博麗神社のお賽銭がほんの少しは集まったって事?」

「そういう事になると思う。守矢神社の神様は風雨の守り神。同時に五穀豊穣の効能もあるし、ついでに武運の神でもあるから弾幕好きの加護にもなる」

「博麗神社の神様は何がなんだか分かんないからね。ただの酔っ払いのおじさんを祀ってるだけかもしれないし」

「結局、人間はメリットが分からないと神様を信仰なんてしないからね。守矢神社の分社のおかげで博麗神社へわざわざ向かうメリットが出来たのかも。ほんの少しだけ」

 確かに守矢神社の分社が出来た事により、里から博麗神社へ向かう人も少しは増えた……気がする。
 妖怪の山は天狗によって締め出された空間だが、まだ博麗神社へ行く事は可能だからだ。
 ただし妖怪は出るし、何より距離もある。
 というか参拝するのが面倒臭いのだ。それは博麗神社を信仰するメリットが分からないから。
 霊夢ちゃんは巫女の癖して自分の神社のアピールポイントが分かっていない節がある。

 だから風雨の守り神かつ五穀豊穣の守矢神社の方が、博麗神社より信仰が分かりやすい。
 博麗神社より守矢神社の方が”神様を祀る神社”として正しい姿なのだろう。
 むしろ博麗神社しか神社を知らない私からすれば守矢神社の在り方は新鮮でもある。

「幻想郷で信仰を集める足掛かりとして博麗神社と提携するのは悪くない選択肢だと思う。あんなんでも一応、前まで幻想郷の唯一の神社だったし」

「でも阿求ちゃん。霊夢ちゃんは博麗神社を営業停止させられかけたって言ってたけど、守矢神社の神様からすれば意味ないんじゃない?」

「うーん。確かに好き好んで荒事を起こす必要もないしね。守矢神社の神様は最初から分社を設立するつもりだったのかもしれない」

「きっと早苗ちゃんが勝手に事を運ぼうとしたんだよ。なんか調子こいてそうな子だったし」


 4.早苗ちゃん


 守矢神社の巫女が東風谷早苗ちゃんだ。
 巫女である以前に外来人に分類される。
 外来人は妖怪に食われてると幻想郷縁起にはあったが、早苗ちゃんみたいな子も確かに居る。
 むしろ早苗ちゃんみたいな『力の強い人間』が積極的に取り込まれているという事でもある。

 例えば慧音先生の友人の健康マニアの妹紅さん。
 妹紅さんも過去に色々あったそうだが、今は竹林のお医者さんの元に向かう際に道案内してくれたりする事もある。
 竹林の屋敷と何か因縁があるのかどうかは知らない。

 今の幻想郷は力の強い人間を恐れない。
 だから早苗ちゃんのような力の強い人間が幻想郷にやって来る事も不思議ではない。
 外来人と言えど、決して幻想郷で生きていく事は無理ではないという事だ。
 というか里にも少数ながら外来人が暮らしてるケースが存在するしね。

「神様の力を借りて戦うという点で言えば、霊夢ちゃんより早苗ちゃんの方が巫女っぽいね」

「2Pカラー」

「そう、ジャンプ力が高い代わりに滑りやすいの」

 神様の力を借りて戦う巫女という点で言えば、恐らく早苗ちゃんの戦闘スタイルの方が巫女としては正しい。
 神社に祀られる神様を代弁する為に、お酒を呑んだり踊ったりお酒を呑んで踊ったりするのが巫女だからだ。

 逆に言えば霊夢ちゃんの戦闘スタイルは、霊夢ちゃんが持つ固有の能力であって博麗の巫女である事と関わるとは限らない。
 元々、博麗の巫女は血縁関係もへったくれもないらしいが、その中でも霊夢ちゃんの出生は謎が多い。
 どうも捨て子だという噂だ。その能力ゆえに外の世界から捨てられたのかもしれない。
 人間はエゴで間引きをしたりする悪い者も決して少なくない。下手な人間より妖怪の方がずっと平和的なのだ。
 どちらにせよ博麗の巫女としての能力と、霊夢ちゃん自身の能力は分かれてるように感じる。
 この点も一子相伝の力を引き継いだ早苗ちゃんが、霊夢ちゃんと異なる所だろう。

「でも、もうちょっとマトモな巫女だと思ったけど霊夢ちゃんと大して変わらないのかなー」

「外の世界は文明が発達してるとも言うし、幻想郷は遅れてる世界のように見えてるのかも」

「信仰は零より減る事はないかー。麓の信仰を得られないのも自業自得じゃないのかな」

「紫様も言ってた事はある。確かに田舎は閉鎖的。だけど幻想郷は全てを受け入れる。都会の喧騒とは全てを受け入れる度量の広さも兼ね備えてる事」

「なんだ、この街も都会じゃん」

「そうかもしれない。妖怪が買い物にやって来るくらいには物資が豊富だしね」


 5.エネルギー革命


「さて。都会と言えば山のエネルギー革命についても触れておいた方がいいと思う」

「なるほど。守矢神社が最近起こした出来事って事だね、阿求ちゃん」

 守矢神社がやって来てから暫くした後の事だ。
 突如、地底から間欠泉が吹き出てしまったらしい。
 どうやら噂によれば地底の妖怪鴉が八咫烏へ進化し、人口の八咫烏が放つ熱を有効活用してるという話だ。
 山には間欠泉の地下センターが作られているらしい。
 余談だが、この地底は鬼の国と同一世界であるとも言われている。

「遂に幻想郷も文明開化の波が来たねー」

「画期的なエネルギーが幻想郷にやって来たのも事実だしね。山の妖怪が里にも恩恵を分けてくれるかどうかは知らないけど」

「でも温泉は気持ちよかったよ」

「ああ、温泉は命の洗濯だよね」

 守矢神社が起こしたエネルギー革命とやらで良かった事があれば、博麗神社の近くに温泉が出来た事だ。
 やはり温泉は良い。日ごろ生きるのが辛いからこそ、一息つく事を忘れてはいけないのだ。

「でも地底は元から人間が妖怪を封印する場所だったから、紫様や山の天狗や河童も幻想郷は恨まれてないのかという不安があったんだと思う」

「……みとりちゃんの事だね」

「うん。あの人妖の件こそが紫様に地底を封印させようと決めた件だったのかもしれない」

 ただみとりちゃんの事件はスキマ妖怪さんが地底を警戒するだけの理由であったと私は思う。
 しかしみとりちゃんの事件について想起するには、時間が足りない。
 私は何より慧音先生の頭突きを回避しなければいけないのだ。

「阿求ちゃん。人間が妖怪を封印する場所が地底で、人間が妖怪を棄てた場所が幻想郷なんでしょう?」

「過去の妖怪退治は人間に手の届かない場所へ棄てる事だった。それが最も有効だったし、今から見れば分かりづらいけど当時は妖怪も恐ろしい存在だったから……」

「結局、地底も幻想郷もコンセプトは同じなのかな。外の人間が勝手に棄てた物が集まる世界」

「なるほど。そういう考え方もあるのね」

「阿求ちゃん?」

「……いやなんでもない」

 どうも阿求ちゃんは、過去の象徴たる地底に対して何か思う所があったようだ。
 御阿礼の子として転生を続けてきた阿求ちゃんから見れば、過去と現在の違いについては私以上に実感する事があるのだろう。
 現在の幻想郷の妖怪は、基本的に人間と仲が良い。
 人間と妖怪の全く新しい関係。
 それが良いか悪いかは人によるのだろう。

 だが阿求ちゃんはそれが悪い事だとは思っていないと私は解釈している。
 幻想郷縁起の最後に記された独白に阿求ちゃんが込めた思いは、恐らく私なんかが思ってるよりもずっと深い意味があるのだろう。

「どちらにせよ地底の妖怪にも色々居るからね。遊覧宝船の船長とかも地底出身らしいし」

「阿求ちゃん、それって地底の妖怪にも可哀相な子も居るって事だよね」

「そう。命蓮寺の主張はそういう物だし、人妖河童の件も踏まえても頷ける話かもしれない」

「結局、地底の封印が解けたのは別に悪い事でもなんでもないじゃん。仲良くやればいいのに」

「これからの幻想郷が地底とどうなるのかは分からないけどそれこそ仲良くやっていく可能性も考えられるかな。地底の話はこれだけで終わりそうにないからね」

「楽しみ楽しみ」

 結論から言えば、鬼の国である地底との関係はまだどうなるか分からない。
 だが決して無視出来ない変化だろう。生きるという事は変わるという事である。
 これは私見だがなんとなく全部上手く転がってしまうのではないかな。
 だって幻想郷だしね。


 6.命蓮寺


「後は里の近くに出来た妖怪寺かな。あの寺が出来た時の反応には今更ながらビックリした」

「あー、宝船が降りてきてお寺さんになったんだよね」

「いや、宝船が寺に変形した云々よりも、里の人達の反応に驚いた。縁起がいいとか偉いお坊さんが居るとかそんな反応ばっかだったから」

「縁起が良かったじゃないの。妖怪に慕われる偉いお坊さんも居たじゃないの」

「うん。だから今の人間は強いなと思った」

 阿求ちゃんが何を言いたいのか私には分からない。
 それは御阿礼の子が過去の記憶をぼんやりと受け継いでいる事と何か関係あるのかもしれない。
 一つ言える事は命蓮寺の人達が里の人間にとって恐れるべき存在かというと、そうでもなかったという事。
 魔界への遊覧船を運営してくれたり縁日を開いてくれたり楽しいイベントも多い。しかも里の近くでやってくれてるし。
 仏教徒だから肉食を禁じてるのも安心要素かもしれない。

「あの妖怪寺の出現は幻想郷のパワーバランスに影響を及ぼすかもしれない」

「阿求ちゃん。それって悪い方向の話?」

「いや恐らく良い話。というのもパワーバランスが崩れかける危険性は守矢神社の台頭によるもの」

「守矢神社が?」

「そう、あの神社の顧客は山に住む河童や天狗だからねー。そうして妖怪の山の勢力が強まれば、麓の里や妖怪とのバランスが崩れかねない危険性もあった」

「そこで命蓮寺だね」

「うん。あの妖怪寺は人間と妖怪の平等思想を説いてる。それは妖怪にも人間にも味方してくれる可能性があるという事」

「悪い人には見えないからね」

「嘘をついてるようにも見えない」

「じゃあ山は守矢神社を信仰して、麓は命蓮寺を信仰すればいいって事だね。阿求ちゃん」

「何を信仰するかは各々だと思うけどそうなると思う」

 守矢神社の台頭による最大の懸念とは何だったか。
 それは妖怪の山に住む河童や天狗が勢力を増す事によるパワーバランスの崩壊だと言われていた。
 妖怪の山は隔絶されているし、人間はおろか麓の妖怪とも接点をあまり持たないのが山の妖怪だ。
 だからこそ守矢神社によって山が強くなりすぎるのは不安要素だったが、逆に麓も命蓮寺によってバランスが取り戻したという事だろう。
 それでいいのだと思う。天狗も荒事は好まないだろう、多分。

「で、守矢神社が麓での営業に商売仇が出た云々は巫女2匹の自業自得って事でいいのかな。阿求ちゃん」

「それでいいと思う。今までいくらでも里まで営業する時間はあったのに来なかったし」


 7.神は恵みの雨を降らす 〜 Sylphid Dream


 ともあれ山に出来た神社…守矢神社の考察は概ね終わった。
 後は思考の後片づけを残すのみ。

「幻想郷は全てを受け入れると紫様が仰られてた事を思い出すね。それはそれは残酷な事だとも」

「残酷かなー。地底の妖怪も命蓮寺の妖怪もいい奴らに見えるけどね」

「紫様も古い妖怪ですから」

「そんな事を言ってもいいの? 阿求ちゃん」

「紫様もその辺の自覚はあるでしょう。新たな流れを残酷と思いつつも年を食うという事は新しい事を認めづらくなる。それは仕方ない事」

「ふーん」

「守矢神社の台頭は紫様の意図とは無関係らしい。でも紫様は守矢神社を幻想郷から追い出したりしないでしょう?」

「あー、そうだね」

 結局、何も不安要素はなかった。悲観的にならない方がいいね。
 山の新しい神社の台頭によって起きた流れは静かに閉じていく。
 幻想郷に残されるのは新たな喧騒のみ。

「守矢神社の台頭、地底世界との交流、そして命蓮寺。これら三つを軸にして考えた方がいいのかな」

「その三つの事件が主軸だね。後は夏の異常気象とか吸血鬼がロケット作った件とかもあるけど」

「ゆっくり一つずつ解釈していく必要があるんだね。阿求ちゃん」

「そう。どれも幻想郷ないし幻想郷の周辺地域で起こってる異変だから。本当はそれらを統括するのが幻想郷縁起なんだけどね」

「いいってば。阿求ちゃんは幻想郷縁起を描き続けてもいいし、描くのを止めてもいい。気が向いたら描けばいいと思うよ」

「ありがとう。そう意見を出してもらえると助かる」

 阿求ちゃんは次の幻想郷縁起を描くかどうか迷っている。
 今の人間と妖怪は仲が良い。だから幻想郷縁起を描く必要がないかもしれないという。
 私はどっちでも良いと思う。
 阿求ちゃんに描く気がないなら描かなくてもいい。
 でも阿求ちゃんが描きたければ、その時は新たな幻想郷縁起を真っ先に読みたいと思っている。
 もはや幻想郷縁起も嗜好品のような物なのだ。
 阿求ちゃんが幺樂団のレコードを聴きながら紅茶を嗜むのと同じようなもの。

「結局、守矢神社が来た事によって起こった事は巫女が増えたってだけかな。阿求ちゃん」

「そう考えても良いと思う」

 ま、その程度の話だったんだよ。
 何も難しい事なんてない。
 人間も妖怪も神様も、どの生きものも現在を生きなければいけないのだ。
 それが地上で生きる者の運命だが、悲観的にならない方がいいね。
 むしろ近況を振り返る事によって現状を把握する事も、上手く生きていくには大切なのだ。
 そう纏めた私は、空になった紅茶のカップをテーブルに置いて立ち上がる。

「じゃあ考えも大分纏まったからそろそろおいとまさせて頂くね。今日は楽しかったよ、阿求ちゃん」

「ええ。いつでもどうぞ。冴月」


 8.花屋の娘


 私は花屋の娘である。
 名前は冴月麟。
 人間の里に住む獣人です。

 私、この街が好きです。






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 (09年11月22日アップ)

 (10年1月3日こっそり微修正)

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