春の終わり。それは梅雨が地を打つ音から蝉の鳴き声へ変わろうとしていた頃だった。
 じめじめした空気が退き、すっかり暑くなろうとしていた。

 妖怪の山に現れた新参者の神社を巻き込んで起こった騒動も、幻想郷に受け入れられる事で沈静化を見た。
 現在の幻想郷では妖怪が異変を起こす。だが異変は人間の手によって解決される。
 太陽を隠す紅い霧も、春が来ない妖しい夢も、そして朝が来ない永遠の夜も、最終的には解決されてきた。

 終わらない異変などない。
 それが現在の幻想郷のサイクルだった。

 いつも通り平和だった。
 少なくとも、多くの人間達と妖怪達にはそう見えていた。

 だが、竹林に住まう者達は知っていたのだ。
 永遠の夜の異変はまだ終わっていない事に……。



−−−−−


 迷いの竹林は、緩やかな傾斜に加えて極めて成長の速い竹が生い茂る。
 成長するという事は極めて地上的な概念だ。
 だからこそ地上は面白い。

 竹林に住まう兎のリーダー、因幡てゐは欠けた月を見上げていた。
 狂おしい月。だが地上から見上げる分には美しいのである。
 月見酒は風流だ。お酒が呑めるかどうかは関係ない。
 地上から見て月を美しいと思える心だけは持ち続けたい。それすら忘れてしまえば心は腐る一方だ。

「懐かしいねぇ。私ゃ月を見るたびフカに嘘がバレて皮を剥がされた事を思い出すよ」

 かつててゐはフカ(サメの一種)を騙した事があった。
 だがてゐはその嘘を自ら明かしてしまった。騙された事に気付いたフカはてゐの皮を剥がされて酷い目に合わされた事があった。
 てゐが大穴牟遅(おおなむち)様……後のダイコク様に助けられたのも、その直後の話である。

 あの頃はウサギもフカもみんな若かった。ただ無邪気で居られた。
 どれほど表面的に無邪気を装っても、心は少しずつ腐っていく。
 永く生きたてゐはそれをよく知っていた。

 だがてゐはそれ以上、過去を振り返る事はしなかった。

「さあ行っといで地上の因幡。賢者の教えによってフカがどれほど穢れているのかという事を月のイナバ達に伝えといで」

 てゐは月を見上げて、笑みを浮かべる。
 その瞳の色は狂気に満ちた月の光と同じ紅だった。


−−−−−


 兎は月にも住んでいる。
 地上の民では太刀打ち出来ない技術力と戦闘力を誇った月の民が暮らす月の都。
 ここで月の民の代わりに雑用をこなしているのは月の兎、つまり玉兎の事だ。

 だが玉兎は支配階級ではあるが、概ね平和な暮らしをしていた。
 月の民はその戦闘力と技術力からプライドの高い者が多い。
 それでも月の民は殺戮を穢れとして忌み嫌った。
 人間が持つ攻撃衝動を抑える事によって、寿命を生む穢れを減らす事に成功したのだ。
 だから玉兎達も月の民に虐待される事もなかったのだ。

 そして玉兎達にも様々なグループが存在する。
 罪人の為に餅を撞き続ける「餅撞きグループ」。
 将棋や囲碁などで月の民と遊ぶ「遊戯グループ」。
 認識できない細さの繊維であるフェムトファイバーから注連縄やブレザーなどを作る「フェムトフループ」。
 素行不良な兎を矯正する為に送り込まれる「月の使者グループ」。

 様々な玉兎が居るが、仕事に差はある。
 だが適当に仕事を続けるだけ。
 クビを切られる事も殆どなく、適当にやっていれば暢気に生きていける。
 それが月に住まう玉兎であった。
 
 月の都も概ね平和だった。
 平和そうに見えた。

 だが、その均衡は突然破られる。
 死から解き放たれたはずの月の都。
 そこに死の恐怖を抱えた者が入り込んだ事によってだ。


−−−−−


 餅撞きグループの玉兎達の仕事場からは、いつも兎達の歌が聞こえる。

「百八十柱(モモヤソハシラ)の罪人のため。撞き続けましょ〜はぁ続けましょ」

 月において餅撞きは難しい仕事ではない。
 餅撞きグループが使うフェムトハンマーは、まるで羽衣のように軽いからだ。
 筋力を殆ど使わず、また餅をこねる方も怪我をする危険性が殆どない。
 このフェムトハンマーとはフェムトウッドによって作られた木槌なのだ。
 月が誇るフェムト精製の技術力は木や鋼などにも適用される。
 概ね楽な仕事が多い玉兎達の仕事だが、この餅撞きの仕事は他に比べても楽な仕事である。

「一つ撞いてはジョウガさま〜。二つ撞いてはジョウガさま〜」

 この玉兎達はかつて罪を犯した月の民、嫦娥(ジョウガ)の為に餅を撞いている。
 と言っても厳密には餅ではなくて蓬莱の薬を呼ばれる不老不死の薬を撞いているのだ。
 その上で嫦娥は幽閉されており、玉兎達もその姿を見たことはない。
 見た事のない人物の為に餅を撞き続ける事には戸惑いがあるが、逆に言えばそれくらいしかこの仕事に苦痛な事はない。

「よ〜し。今日はこれで終了〜」

「お疲れ様でした〜」

 昼の間は適当に餅をついて、夕方になれば仕事が終わる。夜にはのんびり将棋を打ったり桃を食べたり遊び呆ける仕事だ。
 それでいて食いっぱぐれる事もない。
 楽ではあるが達成感のない仕事である。

 だが、そんな仕事に不満を持つ若い者が現れるのも理である。

「しかしいつになったら終わるんですかね〜」

「なんだ。いつもの愚痴かい、タレミミ」

「愚痴じゃないですよ〜」

 水色の髪をショートヘアにした玉兎の少女だった。
 彼女はタレミミと呼ばれているが、それは厳密には彼女の名前ではない。
 ただ兎の耳が垂れているからタレミミと仲間内で呼ばれているだけだ。

 そもそも、この玉兎に本名は無い。
 月人からすれば兎の区別などどうでも良いから、全ての玉兎に名前がついてるとは限らない。
 それでも多くの玉兎はそれで不便だと思った事はない。
 別に月人に虐げられてる訳でもないし、それが月における常識だからだ。

「でも私は頑張ればもっとやれると思うんですよ」

「ははっ、タレミミだからね」

「そう、私はタレミミだからです!」

 玉兎には兎耳が生えているが、耳が垂れた玉兎はあまり居ない。
 この餅撞きグループに耳が垂れた玉兎は、この水色ショートヘアの名無し玉兎だけである。
 だからこの名無し玉兎が自分は特別な存在なのだという自意識を増大させるのも無理はない。
 そういう所はどんな所でも同じなのである。

「でも本当なにか事件とか起きないもんですかねぇ。これじゃ毎日が退屈ですよ〜」

 タレミミ玉兎はぼやく。
 餅撞きの仕事は楽だ。しかし退屈である。
 この「いつもの流れ」をぶち壊すとんでもない事件が起こる事を、タレミミ玉兎は望んでいたのだ。

 だが曲がりなりにも平和な月の都に事件など起こるはずがない。
 今日もいつものように過ぎ去っていく……はずだった。

 だが、その日はいつもとは違った。

『ち、ちぃーっす! ク、クーデターだー! 賢者様がクーデターをおこすぞー!』

 突然、仕事場に見知らぬ玉兎が現れ、血相を変えながら叫んだのである。
 金髪のツインテールで見た目は幼い玉兎だったが、その雰囲気がどこか違う。
 まるで月には存在しないはずの死の恐怖に怯えてるかのような、そんな表情をしていた。
 心なしか玉兎の基本装備であるフェムトブレザーが少し汚れている様に見えた。
 本来、フェムトファイバーで作られたフェムトブレザーは決して穢れる事などないのにである。

「ど、どうしたんですか? 賢者様がクーデターって何ですか?」

 タレミミ玉兎は、血相を変えてやって来た玉兎に語りかける。
 だが、血相を変えた玉兎はタレミミの意見など聞かず、叫び続ける。

『クーデターだー! 賢者様がクーデターだぞー!』

 金髪玉兎の叫びは波長によって放たれていた。
 玉兎は殆ど全てが「狂気を操る程度の能力」を持つが、玉兎はその能力によって独自の波長を使って会話するのだ。
 タレミミ玉兎も自らの持つ「狂気を操る程度の能力」によって、この金髪玉兎の焦燥感を感じ取った。

『も、もちつけ……じゃなくて落ち着け。まず君は誰だい? そして所属はどこだい?』

 餅撞き玉兎の中でも年長の玉兎が、金髪玉兎に語りかける。
 すると金髪玉兎は名乗り始めた。

『”チィ”だー。チィはリーダーの手先ー』

 その金髪玉兎は、チィと名乗る。
 名前がある玉兎は珍しいが、このチィと名乗った玉兎も珍しい存在なのかもしれない

 しかし問題は名乗った後の部分だ。

『リーダーと言ったね。君はあそこから来たのかい』

『そうだー』

 年長玉兎の問いに、チィは明るめに答えた。
 だが先ほどまでチィが抱いていた焦りはまだ消えていない。
 それは波長によって、よく伝わってくる。

 しかしタレミミ玉兎には一つの疑問があった。

『あ、あの……リーダーさんって実在してるんですか?』

 全ての玉兎を支配するリーダーが居る、という噂がある。
 しかしタレミミ玉兎は実際に会った事はないし、どんな所で働いているのかも知らない。
 それ故にタレミミ玉兎はリーダーという存在を都市伝説のような物として解釈していたのだが……

『ああ、タレミミはリーダーの事を知らなかったな』

 タレミミ玉兎の疑問に答えたのは、意外にも先輩玉兎であった。

『先輩はリーダーさんの事を知ってるんですか?』

『まあな。何しろ神代の頃から生きている兎だ。それだけの人望ならぬ兎望があるのだ。性格にちょっと難があるがね』

『はあ……』

 先輩玉兎の玉兎リーダーの説明は、永く生きていて兎望があるらしいけど性格が悪いらしい。
 いまいち要領は得なかったが、今の問題はそれどころではない。

『それで賢者様がクーデターというのは、どういう事なんですか?』

 チィはクーデターが起きると言いながらやって来たのだ。
 それが一体どういう事なのか、タレミミ玉兎も気になる。
 不安は大きいが、それと同じくらい期待も大きかった。
 タレミミ玉兎は刺激がほしかったのである。

『まず地上からの侵入者が出たー』

『……ああ、そう言えば外の月の旗が抜き取られる事件がありました! それが地上からの侵入者ですね!』

『そうだー』

 数十年前、地上の人間が月まで攻めて来た事があったのである。
 だがその時は月の都を守ってる結界が破られる事は無く、実際に戦闘が起こる事は無かったのである。
 その代わり、人間達は表の月に旗を刺した。

 最近、その旗が抜き取られていたのである。
 だから地上から侵入者がやって来て、投げ捨てたという噂が立っていた。
 例えばかつて月に喧嘩を吹っ掛けた地上の妖怪、八雲紫がやったのではないかという噂だ。

 だが八雲紫は月の賢者に仕掛けられた罠によって月へ来る事が出来なくなってるはずなので、誰にも気に留めなかった。
 でももしかしたら八雲紫が何かしらの手段を講じて、再び月に侵略を仕掛けようとしてるのかもしれない。
 月の旗を抜いたのも、何らかの手段で月の賢者が仕掛けた罠を潜り抜けた八雲紫の仕業だったとしたら……

『しかしアレは侵入者の仕業というよりは十六夜の日にたまに起きる自然現象だったはずだが……』

 一方、先輩玉兎は冷静に意見を述べた。
 地上から見て月が十六夜の形を取る夜には、月の物が地上に落下する事もあるのである。
 何百年に一度しか起こらないはずの出来事だが、表の月に立てられた旗が抜けたのも十六夜の日だったはずだ。
 八雲紫が抜いたとは限らない。

『そんなことはどうでもいいー問題は次ー』

 しかしチィが話したいのは、表の月の旗が地上に落下した事ではなかった。
 もっと危険な事を、チィは波長に流して餅撞きの玉兎達に語りかける。


『月の賢者の八意××様がクーデターを起こすとか言ってるー』


 八意××とは、かつて月の都の建設に深く携わった月の賢者だ。
 今はとある事情によって地上に追放されている。
 その八意が月の都にクーデターを起こすつもりだとチィは言ってるのだ。

『そ、そんな……だって月の使者の方は、八意様を尊敬していらっしゃるんでしょう!? なのになんで……』

 タレミミ玉兎は思わず大きな波長を張りあげる。
 月の使者を仕切っているである綿月姉妹は、八意の元弟子だ。
 タレミミ玉兎は綿月姉妹と直接面識はないが、あの二人が未だに八意を慕っている事は月の都でも有名な話である。

 とは言え、月の都にもこれ以上八意を罰する動機はない。
 というより地上で暮らす事そのものが罰になるというのが月人の理屈なのだ。
 だから月の都を統治する月夜見は見て見ぬフリをしていたはずだった。

 だがチィは無邪気に、しかし冷たく言い放つ。

『知らないー。賢者様は月の使者にどう思われようと知ったこっちゃないー。だからクーデターを起こすー』

 チィの言い分は、要領を得なかったがそこはかとなく真実味もあった。
 月の都側は八意を半ば放置しているが、八意が月の都をどう思っているかは分からないのである。
 もしかしたら八意が月の都に復讐をする可能性もあるかもしれない。そういった噂も月では流れている。
 だからチィの言う八意がクーデターを仕掛けようとしてる説も真実味があるのである。

 更にチィは驚愕の出来事を言い放った。


『そして賢者様に手を貸してるらしい兎が拷問されてるー』


 チィがさらっと言い放った事に対し、タレミミ玉兎は驚愕する。

『ご、拷問!? そんな恐ろしい事を……』

 月人は確かにプライドが高く、地上人や玉兎を見下す者も存在している。
 しかし拷問などという野蛮な風習は、月には存在しないはずなのだ。

 月に住む者達は地上の事を「妖怪が人間を食らい、弱者が虐げられるだけの弱肉強食の穢れた世界」として忌み嫌っていた。
 それは地上に対する一方的な恐怖があった。
 そして一方的な理屈をこねて、拷問する事を目的とした魔女裁判のような恐ろしい出来事も地上では起こっているらしい。
 それが玉兎に対しても行われてる。 

 だからこそタレミミ玉兎は思わず戦慄した。
 それでもチィは、尚も兎に課せられている拷問について語る。

『ナワで縛ってムチで叩いたりロウソクを垂らしたりする拷問ー。チィの家族も痛めつけられて寝込んでるー。でも起きたらどうせまた拷問されるー』

 どうやらチィの家族は、魔女狩りによるダメージによって寝込んでいるそうだ。
 ただ八意に手を貸している兎が居ないかどうかを探す為。ただそれだけの拷問。
 認めるまで拷問され続けるとチィは言っているのだろうか。
 となればチィは拷問から逃げ出して来た玉兎という事になるが……。

『ふーん……なるほどねぇ』

 先輩玉兎は、ただそれだけを言った。
 彼はチィの真意を測りかねているようだ。
 しかし八意がクーデターを目論んでる可能性は否定しきれないし、八意に味方している玉兎が居ないとも限らない。
 チィの言い分は嘘とは言い切れない。彼女の言い分にはそこはかとない真実味がある。

『話はそれだけー。他の兎には話したー、ここが最後ー。だからチィは地上に逃げるー』

 そしてチィはとんでもない事を言い出す。
 チィは地上へ逃げるつもりなのだ。
 その事にタレミミ玉兎は驚いた。

『えっ。チィさんの家族はどうするんですか?』

『もう手遅れー。だからチィは逃げて八意様の元へ行くー。クーデターに参加するー』

『ク、クーデター……』

 チィは仲間を見捨て、八意の味方につくと言っている。
 それは酷薄な態度なのかもしれない。
 でも玉兎では月人には敵わない。拷問を止める事など出来ない。逃げるしかないのかもしれない。

 それにタレミミ玉兎にはチィを責めるよりも、チィに憧れる気持ちすらあった。
 怠惰に生きていたタレミミ玉兎には、地上に住む八意の元に逃げようというチィの姿は刺激的に見えたのかもしれない。
 月に居たら自分も拷問されるかもしれない事だし、タレミミ玉兎は自分も地上へ逃げてみようかと考えた。
 月の羽衣を使えば地上まで降りられるはずである。

『それとこれが地上の妖怪兎の姿ー。フェムトブレザーだと目立つー』

 するとチィはいつの間にかフェムトブレザーを脱ぎ捨て、白いノースリーブの衣装に着替えた。
 それはとてつもない早業だったが、狂気を操る玉兎の能力によって攪乱しつつ着替えたのだろう。
 狂気を操れば高速移動したように見せかける事も可能なのだ。それと同じ理屈なのだろう。

 その地上の妖怪兎が着る服をどこから持ってきたかは分からないが、地上の妖怪兎の格好の方が確かに目立たないかもしれない。

『わ、わかりました。覚えておきます』

 タレミミ玉兎は今から逃げるつもりで居た。
 だが勿論リスクは伴う。地上は怖い所であると聞かされてるからだ。
 出来る限りリスクを減らす為に、チィの話はよく覚えておこうと思った。

『じゃあチィは逃げるー。ばいばーい』

 そしてチィは脱ぎ捨てたフェムトブレザーを抱えて逃げ出した。
 当初、彼女が抱えていた焦燥感はどこへやら。
 どうやって逃げるのかは知らないが、地上へ行くには色んな方法がある。
 タレミミ玉兎は、とにかくチィが無事に地上につけるよう無事を祈るのだった。

 しかし先輩玉兎は別の事を考えていた。

『……なるほど。神代から続く因縁に決着をつけるつもりか、因幡の素兎よ』

 その想いは先輩玉兎の心の中だけで儚く霧散する。

 月の都は平和だ。
 平和そうに見えた。
 しかしその裏で一つの傍迷惑な喜劇が多くの人間や兎を巻き込んで起ころうとしていたのだった。


−−−−−


 その兎は、
 『この狂気の物語』は嘘がバレる前に解決出来るだろうか、と言った。

 だが兎のリーダーは言った、
 『こんな狂気の物語』は、嘘をついてでもいい加減に解決させる、と。

 兎のリーダーは、狂気の同調者を求めて海と山を繋げ出した。
 後を追うように兎は海へ飛び込んだ。


 狂気を遣い、話の軸を捻じ曲げる兎。

 −− 彼女は、山へかえる。


−−−−−


 兎のリーダーである因幡てゐは、また月を見上げていた。
 今日の月はいつになく狂おしい。
 月を狂わせている何かが存在するのだろうか。

 てゐの元に小さな兎が報告にやって来る。
 兎と言っても妖怪兎の一種であり、てゐの部下でもあった。
 この幻想郷にてゐの言う事を聞かない兎は約一羽を除いて存在しないのだ。

「リーダー。れーせんが、おししょーさまに、おしおきされたー」

「そうかい。いつものオチなら三日は起きないだろうねぇ。ま、鈴仙が寝込んでるおかげで私らは好き勝手動けるんだけどさ」

 部下の報告に対し、てゐはいつもの事だと思った。
 だが”例の異変”が終わってから、少しずつ彼女の周辺も変わって来ている。

 だからてゐは、とある兎をとある場所へ送り込んだのだ。
 全てを終わらせるために、だ。

「リーダー。”ちゐ”が月から帰ってきた―」

 そしててゐの元に一羽の金髪ツインテールの幼い妖怪兎の少女が現れる。
 ちゐと名乗る妖怪兎の手には黒いブレザーが抱えられている。
 恐らく脱ぎ捨てたのだろう。今は地上の妖怪兎の格好をしている。

 ちゐは人間の姿から、小さな兎の姿へ変化する。
 妖怪の中には姿外見を変える妖怪も居る。鬼の国に住む火車は、人間の姿と猫の姿の両方を使い分ける。
 それと同じ理屈だ。フォームチェンジというやつだ。

「ちゐ、どうだった?」

「手応えあったー。特にお師匠様のせいで玉兎が拷問されてるという所にみんな驚いていたー」

「そりゃお師匠様のSMプレイは今時の若い玉兎にとっちゃ刺激が強すぎるだろうさ」

「SMプレイという名の魔女裁判ー」

 ちゐの報告を聞いて、てゐは薄く笑う。
 それは嘲笑か。あるいは別の物か。

「これでお師匠様もフカも動かざるを得ない。予定より遅くなったけど、誤差の範疇ってとこだね」

「お師匠様が動かないとイナバ達も動けないー」

「今回はうまくいくかもしれないねぇ。狂気の月の兎さえ動けば、フカに勝ち目はない」

 てゐは高らかに宣言する。

「さあ、行こうか。神代から続く因縁の闘い……第二次国譲り神話を」

 それは宣戦布告。
 それは過去の復讐。
 それは永遠の終わり。

 それが第二次国譲り神話。

 それは因幡の素兎によって始動する。
 それはそれは残酷な物語を肯定する為に。

 それは第二次月面戦争が始まるより少しだけ早く、ひっそりと始まったのである。



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