人間の里は周囲を城壁で囲まれており、出入り口は門しかない。
その門の高部には藁の屋根がかぶされた望楼がある。
この年代物で古めかしい望楼は、かつてはこの望楼から襲撃してくる妖怪達を見渡していたのだろう。
妖怪と人間が食うか退治されるかの戦いに明け暮れていた頃の遺物だ。
だがそれも昔の話。
今はこの望楼も歴史を物語るだけの遺物と化しつつあった。
それは何故なのか。とそんなお話である。
この望楼には誰も見張りなど居ない。
だからここに二人の少女が忍び込んできても、誰も文句を言わない。
「カビ臭いですね……」
忍び込んできた内の一人、稗田阿求はその望楼の惨状を見て素直にそう呟いた。
埃にまみれ、蜘蛛の巣もちらほら見える。
本当に誰も掃除していないのだ。
その穢さはここから新たな妖怪が誕生しそうなくらいである。
阿求と共に楼閣に忍びこんできた少女は呟く。
「それでも悪戯には結構使われるんだよ。ここにも妖精とか住みついてるのかもね」
阿求を誘ってわざわざこんな所まで連れてきたのも冴月の陰謀だ。
彼女は実は半獣だが、それはどうでもいい事柄である。
「妖精は弱いくせに数だけは多いですから」
「きっと妖精から見た人間は物凄く強いんだよ。妖精同士の喧嘩も、本人達からすれば大戦争とか」
「光の三バカ妖精と氷のバカ妖精が喧嘩してるのを私も見ました。正直、そんな大した弾幕じゃなかったですよ」。
阿求は光の妖精と氷の妖精の喧嘩を大した事のない弾幕という。
だが彼女らも妖精の中ではそれなりに力を持ってる方だ。
それでも下級妖怪に匹敵するくらいなのだが。
どちらかと言えば妖精達をザコ扱い出来る阿求ら幻想郷の人間の方が、人間離れしている。
そう、幻想郷の人間はみんな強いのだ。妖怪に負けないくらい。
だからこそ幻想郷は楽園なのだ。
「ねえ、阿求ちゃん。昔はここが妖怪退治の拠点だったの?」
「そうなるね。麟は人間の里がどうして生まれたか知ってる?」
「なんで出来たの?」
「妖怪が山の麓まで下りて来ないように迎撃する為の妖怪退治屋が住む里だったのです。私達の多くはその妖怪退治屋の子孫ですね」
「でも外から来る人間も結構居るじゃん」
「幻想郷は全てを受け入れる。それが妖怪の賢者の理想なのですよ」
「あの賢者って複数名義じゃなかったの?」
「いやまあその……」
実の所、人間の里は妖怪達と上手くやっていけている。
人間に友好的な妖怪や神様、仙人の類も増えてきたし、本来の敵である妖怪達も大半は平和ボケしているような連中ばかりである。
その辺の弱小妖怪なら普通に相手に出来る人間も多く、強い妖怪が起こす異変にしても彼らにとっては自然災害と大して変わらない。
「紫様は恐らく影で幻想郷が滅びないか調整しているのですよ。多分」
「人口調整?」
「いや幻想入りする危険物とかそんなの」
人間と妖怪の新しい関係。それは妖怪が闊歩する現在の博麗神社を中心とした界隈のみならず、こうした人間の里にも存在する。
それはつまり遠くから攻めてくる敵を偵察して迎撃する為の楼閣の存在意義を失った事でもある。
だが阿求は恐らくそんな現在の幻想郷が好きなのだ。
過去がどれだけ陰惨であったにしろ、現在はそれを引きずっている訳ではない。
懐古はしても過去に縛られて現在や未来を見ない事はしないのだ。
阿求が思いにふけってた横で麟は突然大声をあげた。
「あ、本読み妖怪だ。撃っちゃえ」
麟は朱鷺色の羽根を持った名無し妖怪に向けてショットを放つ。
これも先祖代々伝わる退魔の術なのか。はたまた半獣だからかは知らない。
「ぎゃあ!」
本を読んでいた名無し妖怪は麟の奇襲に驚いたらしい。
まさか楼閣から攻撃を放たれるとは思っていなかったのだろう。
「なるほど。楼閣の使い方はこうなのか」
麟は物思いにふけりながらそんな事を呟く。
ちなみに麟が名無し妖怪に攻撃を放った理由は特にない。ただ通りすがったから襲っただけである。
「麟・・・あまり調子に乗らない方が・・・」
いいですよ、と阿求が言おうとしたら名無し妖怪が背中からバックショットを放って来た。
「きゃんっ!」
ピチューンという効果音が鳴った。思わず不意打ちで避け損ねたのだ。
「何やらかしてくれてんのよ。そんな所から撃って来るなんて効いてないわよ!」
名無し妖怪が怒りの表情を浮かべながらこちらに近づいてきた。
「いやー。なんとなく横切ってる妖怪が居たら退治しとくのが道理って幻想リテラシって奴じゃない?」
「どこの巫女よ、それ!」
麟と名無し妖怪が一触即発な雰囲気である。
どうせこのままスペルカード戦へ突入するのだろう。
だが弾幕の余波がこの楼閣まで及びかねない。
つまり里の門へ被害が及びかねない。
妖怪からしても里を襲うのはリスキーな行為だ。
というかそれやったら確実に博麗の巫女あたりによって袋叩きに合う。
強い妖怪は我儘だったり掴み所のない妖怪が多い一方で異変以外では自重出来る。
だが弱い妖怪はその限りではない。
地底の地獄鴉などの例外を除けば、弱い妖怪は頭の弱い奴が多い。だが頭の弱い奴は大抵弱い。
とどのつまりここでスペルカード戦が起こるのは名無し妖怪によっても不利益なのだ。巫女によるフルボッコフラグである。
「あ、戦うなら他所でやった方が・・・」
いいですよ、と阿求が言おうとした時、既に遅かった。
「とりあえず勝負よ!とんこつラーメンに添えられるショウガのように朱鷺鍋になれ!」
「私のバックショットの前に死ぬが良い!」
「あーあ・・・」
阿求には麟と名無し妖怪の弾幕戦闘の被害に遭わないよう、とっととその場から離れる事しか出来なかった。
まあこの辺で戦っても大丈夫だろう。
これくらいで崩れるほど妖怪退治屋の末裔である人里の住人はやわくない。
勿論決着がついた後、二人とも巫女にボコボコにされたのは言うまでもない。
後日。麟がこんな事を聞いてきた。
「ねえ、なんで霊夢ちゃん。私もボコるん?」
「人間と妖怪には魂を入れる器しか違いがないからですよ」