前回までのあらすじ:憂はキーボード担当になった


 〜Aパート〜


ジャーン♪


新歓ライブまで残すところ数日。
音楽室では新たにキーボードを入手した憂も合わせての練習を初めていた。

「説明書を読んでやってみたけど、どうかな梓ちゃん」

「ていうか普通に凄いよ。やっぱり憂は何やらせても上手いね」

 そもそも憂に姉の存在以外の弱点があるようには思えなかった。
 それくらい平沢憂という女は器用なのだ。天才と言っても過言ではない。

「ん〜。割とうまいんじゃないですか〜」

 一方、新入部員の茜は梓達の演奏を聞いて肯定的な感想を出しつつも、それはケーキを食べながらの話半分だった。
 茜はケーキと紅茶とスッポンモドキのトンちゃんが目的でこの軽音部に入ったのでやる気があまり無いのだ。

 純はそんな茜のやる気の無さに大して流石に何か言いたそうである。

「というかあんたもなんかやんなさいよ」

「え〜。いやですよ。幽霊で良いって言ったから入部したんじゃないですか」

「あんた幽霊部員じゃないじゃん」

 茜はこの街のライブハウスで名を広めた天才ギタリストだったという噂である。
 しかし今はギターを封印しているらしく、事実上の幽霊部員と化していた。
 いや厳密には音楽室には顔をだすので純の言うように「幽霊部員」とは言い難いかもしれないが。

 この茜を釣るために梓はトンちゃんを飼うに決めたのだが、それも少し後悔しつつある。
 だからこそ新歓ライブを成功させたいという焦りも梓の中には生まれていた。

「んじゃ二人とも。もう一曲、練習するよ!」

 だが梓の真面目さを阻害するかのように音楽室の扉がバタンと開かれ、この部の顧問が現れた。

「あー、疲れた。憂ちゃんお茶出してー」

 入るなりこれである。この顧問は軽音部を喫茶店かなんかだと思ってる節があった。

「はーい。じゃあ紅茶淹れるね」

「憂、私チョコケーキ」

「はい、純ちゃんはチョコケーキね」

 しかしさわちゃんの登場で場の空気はあっという間にふわふわ時間と化した。
 憂はキーボードを丁寧に置いてから紅茶を淹れる準備を始めている。

「うー。もうちょっと合わせたいのに……」

 梓は少々複雑な気持ちでもあった。
 先輩達が卒業して何かが変わるかと思っていた。
 せっかく憂や純が付き合ってくれたのだから部長として部を引っ張っていかなきゃいけない自覚もあった。

 しかし何も変わらなかった。
 梓の放課後のティータイムは今も続いている。

 流されるままテーブルについた梓は猫のイラストが描かれた愛用カップの紅茶を口に含んだ。

「梓ちゃんはモンブランがいい?」

「バナナケーキがいい……」

「うん分かった」

 このケーキは今もムギが寄贈してくれていた物らしい。
 出されたバナナケーキを口に含みつつも、その甘さでは何も解決しない事も分かっていた。

「どうしたんですか?中野先輩」

 梓の様子がおかしい事に気づいた茜が気づかって声をかける。

「ううん。なんでもない」

 結局、梓はまだこの部での立ち位置を確立しきれていない。


 〜〜〜〜〜
 

 それからこの日は練習する事もなく、貰い物のケーキを一通り平らげた後は下校する事になった。


 〜〜〜〜〜


 下校時、純・憂・茜と別れた梓は帰路で一人今後について考えていた。

「(このままじゃ駄目だ……横川さんは頼りにならないし純と憂と上手く合わせて新歓ライブで頑張らないと……)」

 梓は思う。

 よく考えれば入学した1年生の頃に戻っただけなのだ。
 今まであの放課後ティータイムに馴染み過ぎていた。
 技術の合わなさは練習で埋めればいい。
 梓は彼女が思う「部長」としての使命に燃え、拳を握りしめた。

「カムバックあたし!」

 握った拳を振り上げて梓は叫んだ。
 しかし傍目から見ると変な人に見えかねない。

「梓……何やってんだお前……」

「にゃっ!?」

 後ろから聞き覚えのある声に不意を突かれた梓は驚いて振り向く。
 だが声をかけたのは前髪を降ろし眼鏡をかけた見知らぬ女性である。

「だ、誰ですか!?」

「私だ」

 梓の疑問に対して女性は眼鏡を外した上で前髪をかき上げる。

「ああ、なんだ律先輩ですか」

 その女性は軽音部OGの田井中律であった。
 梓が気づけなかったのは律のトレードマークである『おデコ』が前髪に隠れてたのと、地味な眼鏡のせいである。
 しかし梓が知ってた律は決して眼鏡っ子ではなかった。

「ど、どうしたんですか律先輩。眼鏡かけてたから誰かわからなかったじゃないですか」

「イメチェンだよイメチェン。どう思うよ」

「『何この地味子、キモ』って思いました」

「中野ォ!」

 梓の目から見た眼鏡りっちゃんは地味な子に見えたらしい。

「私は大学受験の際に運良く合格したが、このままじゃいかんと思って知的になろうと思ったんだ。そして眼鏡をかけたんだよ」

「……キモいです律先輩」

「なんだとー」

 律は両手で拳骨を作り、梓の頭にグリグリする。
 しかし眼鏡りっちゃんは梓から見れば本当にただの『地味子』にしか見えなかったのだから仕方ない。
 律は演技染みた涙声でひしひしと語る。

「うう。大学で唯も言ってたんだよ。『眼鏡のりっちゃんきもーい』ってな」

「いや実際キモ……って思いますよ。律先輩の事を知ってる人が見れば尚更」

「おかしーか?」

「おかしーです」

 ボロックソに言われた律だったが、気持ちを切り替えて梓に向きあう。
 本当の所は気にしてないのだろう。

「まあ私のイメチェンはいいんだ」

「イメチェンだったんですか。地味子になってましたけど……」

「地味子って言うな!私が気になってたのは梓がちょっと落ち込んでるんじゃないかって事だよ」

 律の言う事は少し図星だったのか梓はちょっと驚く。

「い、いや私は別に……」

「それだったらいいんだけどな。あずにゃんは真面目だから上手くやれてるか心配〜って大学が唯が言っててな」

「唯先輩には心配されたくないです!」

「ははっ。違いないな」

 強がったはいいが梓には迷いを捨てきれていないのは事実だ。
 部長としてどう立ちまわればいいか梓はまだつかみ切れていない。
 そんな梓の様子を知ってか律はこんな事を言い出した。

「そうだ。梓、お前今日は暇だったらウチへ泊まりに来いよ」

「え?なんでですか?」

「別にいいじゃん。なんとなくだよ」

 言われてみれば梓には律の申し出を断る理由はない。
 これでも付き合いという物もある。
 先輩達は卒業してしまったが、梓との縁は切れていないのだ。

「だったらギターを置いてきていいですか?近くに家があるので」

「おういいぜ」

 それから梓は一度自宅へ帰り、それから田井中家へ遊びに行く事に決めたのだった。

 梓は律に対してはやや手厳しい態度が目立つ。
 だがそういった容赦の無さも、裏を返せば梓がそれだけ律の事を信用してるという事でもある。




 〜Bパート〜

 「部長」として真面目に振る舞おうとしても出来ない梓は自らの立ち位置に思い悩んでいた。
 そんな中、梓は帰り道で偶然OGの律と再会する。
 謎のイメチェンを遂げた律に対し、容赦のない言葉を浴びせる梓。
 それはさておき律は自分の家へ泊まらないかと梓を誘うのだった。



「ただいまー」

 まず梓は自宅に一度帰ってギターを置いていく事にした。
 流石に律の家へ持って行く訳にもいかないと判断したのだ。

「お邪魔しま〜す」

 そして梓の後ろには何故か付いてきた律の姿があった。

「はあ。なんで律先輩が付いてきてるんですか?」

「なんとなく、だ」

 中野家に入るとギターのソロ演奏をしてるような音が響き渡っていた。
 クラシック・ギター(クラギ)による年季の入った演奏である。
 エレキの唯や梓とはまた毛色の違った演奏だ。

「このクラギは誰が弾いてんの?」

「ママです。前に言いませんでしたっけ。うち親がバンドやってたんですよ 」

「へ〜ママねぇ。いい演奏じゃんよ」

 そう言えば梓は親がジャズバンドをやっていた影響で自らもギターを始めたと言っていた。
 となると今でも梓の親はバンドを続けているのだろうか。

「ていうか梓んちに遊びに来た事あんまり無いからなぁ」

「そういやそうですよね。憂や純は遊びに来てくれるんですけどね」

「しっかし防音対策バッチリだな〜」

 バンドの練習をするにしても騒音が近所迷惑になってしまう事もある。
 住宅街であるならば尚更だ。
 しかしこの中野家はそうした対策も取り行ってるらしい。

「あ、こっちです」

 梓が案内した部屋では人妻風の女性がギターの演奏を終えて額の汗を拭うポーズを取っている所であった。

「……あら。お帰りなさい梓」

「ただいま、お母さん」

 この女性が梓の母親なのだろう。
 年配ではあるはずだが、おしとやかな雰囲気を身にまとっている。

「あら、そちらの方は梓の先輩?」

「うん、ドラムの田井中律さん」

 律は梓ママに向けて丁寧にお辞儀をする。

「初めまして。わたくし、梓ちゃんの軽音部のOGだった田井中律です」

「いつも梓がバンドでお世話になってますね」

 梓ママもペコリとお辞儀をする。

 中野家のリビングでは棚一面にレコードが敷き詰められていた。
 親がジャズをやっているという話は聞いていたが、こうして実際に見てみると梓の親もやはり音楽マニアとしての年季を感じる。

 部屋を見渡す律を尻目に、梓は母と今日の予定の話を進めていた。

「今日はちょっと律先輩の家に泊まってくるから」

「あらあら。だったら夕ご飯はどうするの?」

「あ、どうしよう……」

 まだ夕方の5時30分ごろである。
 梓が田井中家へ泊まりに行くとしても夕飯を中野家で食べるか、田井中家で食べるか決めなければならない。
 それに気付いたのか律は梓ママに説明する。

「それだったらウチでご飯作りますよ。な、それでいいだろ」

「え、ああ。それじゃ先輩の家で食べてきます」

「そう。ではギターは置いていくのね」

「うん。ちょっと出かける準備してくるね」

 梓はギターとカバンを持ったまま自分の部屋まで向かった。
 そして残される梓ママと律。

「(くっ、梓め……ちょっと空気が重いじゃないか……)」

 残された律は流石に居心地の悪さを感じていた。
 幼馴染である澪の母親とは面識はあるが、梓の母親とはこれが初遭遇である。
 その沈黙を破ったのは梓ママだった。

「梓は大丈夫でしょうか……」

「大丈夫……というと?」

「ええ、梓はちょっと真面目すぎる子でしょう」

「まあ、そうですよねぇ」

 梓の真面目さは律もよく分かっている。
 最初の頃はいざこざがあったりもしたからだ。
 そして今もその真面目さ故に梓は迷っている。

「中学時代にもバンドを組んでたんですけど高校に上がった時に解散しちゃ ったらしくて……」

 梓ママの話は律にとっても初耳だ。
 よく考えれば小学生の頃からギターをやっていた梓が中学の頃にバンドを組んでいたとしてもおかしくない。

 人間関係はあっさり崩壊する。
 それを維持するのにも努力は必要だ。
 梓は中学時代の交友関係をほぼ捨ててしまったのかもしれない。

「だから高校に入って楽しそうにバンドをやってる梓を見て安心したんです」

「まあ私が自分で言うのもなんですがあんまり真面目な部じゃなかったんですけどね〜」

「だから梓にとっては良かったと思います」

 放課後ティータイムで真面目に練習をしてきた記憶はあまりなかった気がする。
 泊まり込みの練習は何回かやったが、それすらも楽しかった記憶しか無い。
 しかし、だからこそ梓は安心出来たのではないかと梓ママは言うのだ。

「律先輩、準備出来ました」

「お、おう……」

 そうこうしてる内に私服に着替えた梓が降りて来ていた。

「それじゃ行ってきますママ」

「気を付けて行ってらっしゃい」

 そして律は梓ママに軽く会釈してから、梓と共に中野家を後にした。


 〜〜〜〜〜


 田井中家へ向かう最中、律はふと漏らした。

「梓〜。お前のお母さん。いい人だな」

「は?そんな事を唐突に言われると戸惑うんですケド。ママと何を話してた
んですか?」

「ん〜。なんでもない」

 梓が高校入学前に一体どう過ごして来たのかは律にはあまり分からない。

 律だって中学時代には別のバンドを組んでいた過去くらいある。
 その頃からの仲間と言えば幼馴染の澪くらいなものだ。
 唯やムギとは高校で出会った存在だからだ。

 律の場合、決して人間関係が崩壊した訳では無かった。ただ疎遠になるだけだ。
 だが梓の過去はそうじゃなかったのかもしれない。

 憂と純は中学生時代の頃からの付き合いだったらしいが、梓があの二人と友人になったのは桜高に入学した後である。
 梓にとって中学生時代の付き合いは黒歴史なのかもしれない。
 ただそうした物も憶測による勘繰りでしかないのかもしれないが。

「なぁ、梓……放課後ティータイムは青春の無駄遣いだったんかな」

「……そんな事言わないで下さいよ」

「そうだな〜」

 放課後ティータイムは確かに存在した。
 だが人間は変わらなければいけない。
 では律や梓にとって放課後ティータイムはどのような意味があったのか。


―――その意味を問うには、まだ時間が足りないのかもしれない。


 しかし、いつかは放課後ティータイムが在った意味を振りかえる日が来る
のだろう。
 それでも歩み続けなければいけない。

「着いたぞー」

 そして梓と律はその場所へ辿り着く。

「ここが私の実家だ」

 どこか古ぼけた和菓子屋。
 それが律の実家であった。

#5「田井中家!」へ続く


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